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2000年9月の日誌

2000年9月1日

 9月だというのに凄まじい暑さ。何でも南の台風から風が吹き込んでいるらしいのですが。
 おかげで何もする気がしない!
 なにせ、机の上の何をとってもじんわり熱い! ついでに机の上まで熱い!
 溶媒をこぼしても、すぐに蒸発してしまったり。
 やってられんわ。


2000年9月2日

 ちょっと昔の文学作品に、ようやく興味が湧いてきたような気がする。
 こないだは、何かで紹介されていた『檸檬』(梶井基次郎)を買ってきました。
 確かに文章がすごくきれい。淡々としているのが好きです。
 あとは夏目漱石。昔買って、でも読んでいなかった作品とか。
 でも、それと並べて『銀英伝』の新文庫版なんか買ってきてたりして(笑)
 ……って、『銀英伝』ももはや古典かもしれないと思えてくる今日この頃。
 わたしは本当に理系の化学屋なんでしょうか?(汗)


2000年9月3日

 ええ、半徹したので眠いです。そんなことする気はなかったんですけどね。
 昨日はネットにも繋がなかったし。というか家に帰らなかったんだけど(笑)
 そろそろ体力の限界。もともと徹夜が利く体ではないのですが、無理も利かなくなってきたような気がする。
 あと2ヶ月20日で23歳。なんだかな。


2000年9月4日

 久しぶりに最近思うこと。
 まずは少年犯罪云々について。

 最近、あまりにも馬鹿みたいな理由で人を殺す、または殺そうとする学生が流行っていますね。
 やれ、疑われただの、授業中しかられてカッとなっただの。
 そういうのの理由を家庭教育などに持っていく考え方もありますが、最近わたしが思うこと。
 これこそ、テレビの影響ではないかと。

 ここで勘違いしてもらっては困るのは、いわゆる暴力的シーンによる影響であるとは、わたしは全く考えていません。テレビで人間を暴行するシーンを見て、やってみようと思う人間は、そういうものを見なくても暴行します。そんな単純なものに影響を受けるほど、子供は馬鹿じゃないです。むしろ、そういう考えの大人が、子供を馬鹿にしていると思います。
 わたしが影響を受けていると考えるのは、テレビ全体の情報の与え方のほうです。
 テレビはインターネットと違い、ほぼ完全な一方通行メディアです。ただテレビの前にいて、見聞きするだけで情報を手に入れたような気がしてしまう。
 その影響だと思うのです。
 つまり、人々が何も考えなくても情報を手に入れてしまう。人々が考えるということがない。つまり、人々が「大衆」化しているということです。
 昔、日本総中流、とかいう言葉があったような気がしますが、ここでは中流が大衆、ということでしょうか。
 さて。脳味噌は使わないとどんどん怠けていきます。すべてを単純化してみようとする。
 そして、普段たどるべき思考経路をたどらず、簡単に行動をしてしまう。
 また、与えられた情報を疑いもせずに簡単に受け入れてしまう。
 これこそが問題なのです。
 最近の理系離れ、「工学」「医学」などの実用的理系学問ではなく、「理学」などの純粋理系学問離れも、この辺にあるのではないかと思っています。
 ちょっと難しい事柄に対しても、考えることを放棄してしまう。

 最近流行の「キレる」「むかつく」もこの辺でしょうね。ただ単純に自分が気に入らないことに対していらいらしている。まるで、泣くことしか外界に働きかける術を持たない赤ん坊のよう。
 つまり、「日本人総赤ん坊化」が進んでいるということかもしれない、と最近思っています。
 やめてくれ、といいたいですね。

 少なくとも、わたしの身の回りにいる人間は、理性的な判断で物事を考えて行動してもらいたいものです。
 世の中はそんなに単純なものではないですよ。

 それから、これも最近流行の「ネット犯罪」について。

 マスコミでは、ネットが使われた犯罪だ、ということだけで大きく取り上げられますが、詐欺などのほとんどの犯罪は、手紙や口約束、さらには電話を主に使っていた時代とほとんど内容的には変わらないものです。それに対して、いちいち「手紙犯罪」だの「電話犯罪」だのといいましたかね?
 ネットは、つまり今や手紙や電話と並ぶ、重要な通信手段であり、けっきょく使う人間の問題である、ということは何に対しても同じわけです。
 似たようなものに、刃物の問題もありますね。
 刃物は人類が手に入れた道具の中でも有数の使い勝手を誇るものです。それを木や糸を切るのに使うか、人を切るのに使うかは使い手によります。
 しかしながら、危ないからといって子供にはものを持たせないという考え方はどうかと思いますね。むしろ、使わせて自分の手を切ったときの痛みを知ることで、他人に向けてはいけないと本能的に知ることが大事だと思います。
 きっと、簡単に人に刃物を向ける人間は、自分の手を切った経験がないんですよ。
 それと同じことがネットに言えると思います。重要なのはネットが使われたということではなく、ネットを使ってそういうことをする人間がいる、ということですよね。
 で、恐れないで積極的に関わっていくべきだと思うんですよ。被害に遭う度合いはおそらく実社会よりはまだ低いと思います。
 確かに、見るんじゃなかったと思うようなものも転がってますが、普通にやってる分にはそうそうひどい目には遭わないものだと思ってます。それこそ、外国の道を歩くのと同じ感覚だと思います。危ないところには近づかない。
 そして、危ない目に少しずつ遭うことで成長するものだとも思います。

 けっきょく、これって現在の一方的マスコミズムの、現在の利権を浸食されることへの無意識の抵抗だと思っています。ネット社会が進むと、今のマスコミで残るのは脳味噌空っぽの「芸人」と呼ぶのも烏滸がましい連中だけでしょうし。
 でも、前時代的マスコミズムはもはや時代遅れなのは明々白々。わたしは趣味で新聞を読む程度ですが、それとあとはテレビニュースしか見ませんし。多くのバラエティーはもはやうんざり。コメディアンが楽しませようとして考えている番組はまだよく、いやそれさえもあまりに頭が悪いのはいらいらするのですが、素人を馬鹿にして楽しむことしかできないバラエティーは見る気も起きません。最近はそういうのばっかり。

 これも大衆化の一つなんでしょうね。そんなのが喜ばれるんですから。
 でも、忘れないでいただきたい。大衆化の先にあるものの一つに、全体主義があるということを。ナチスドイツが政権を、圧倒的支持のものに奪ったのは、マスコミの統制による徹底的な大衆化があったからだといわれています。また、日本が対米戦争に向かったのは、軍部の強硬姿勢ではなく、マスコミの煽動による世論の方向付けがあったといわれています。たとえば海軍は、日米開戦には消極的だったとされています。一番はしゃいでいたのは、今でも日本の代表的新聞である某新聞。
 これこそがマスコミが背負うべき十字架。単純に左翼化することでは、絶対解消できない贖罪です。

 個人主義と全体主義は、絶対相容れないものではありません。むしろ、個人主義のベクトルが一致したときに、全体主義が発生するのです。
 ヘーゲルが引きずり下ろし、ニーチェが殺した神の代わりに、理性を!
 理性の暴走ほど怖いものもないんだけどね。ドイツの超合理主義の中に、ユダヤ人虐殺もありますから。

 これからは考えることこそ、自分が自分として存在できる唯一の手段になると思います。
 流されないように生きていきたいものです。

 長くなりました。読んでくださった方、ありがとうございました。


2000年9月5日

 本を置く場所がないのにはほんとに困っています。今数えたら、未読の(つまり片づけてない)文庫本がちょうど30冊ありました。
 これを置く場所だけでも何とかしないと。
 でも、どうにもならないかも(汗)

 昨日が長すぎたので今日は短めにしてみました(笑)


2000年9月6日

 ちょっとお休み。


2000年9月7日

 最近あまり熱心にネットしてません。なんとなく疲れました。
 別にやめるつもりはないんだけどね。ちょっと鬱モードに入ってる感じがしますね。
 ま、この程度ならすぐ元に戻るでしょ。


2000年9月8日

 ひそかに4年生の大学院入試が終わっていました。見事に全員合格。めでたい。
 それと、留学生の人2人が卒業されるということで、そのお別れ会と院試お疲れ会をかねてコンパ。
 久しぶりにしみじみとお酒が飲めた気がします。
 久しぶりに雨も降ってたし。ふう。


2000年9月9日

 特に何もなし。
 ああそうだ。今日は大学生協が休みだったんだ。
 食堂も休みなんて、不便すぎ。困ったもんだ。
 何の脈絡で今日は休みなんだろう。先週は営業してたのにね。
 よく分かんないや。


2000年9月10日

 演奏会の練習にいって、その帰りにいきなり電話。その相手と会う約束をして、そのままドライブに突入。
 帰ってきたのが午前2時。
 こんなことをやっていてはいけません。明日明後日は、「雑誌選び」なのにね。
 ああ、「雑誌選び」というのは、各人の担当の英語論文雑誌から、おもしろそうな論文を選び出して発表するゼミなのです。
 困ったもんだ。


2000年9月11日

 慢性的な睡眠不足です。
 今日は一日眠くて、危ないところでした。
 ……まだ眠い。というわけで今日はさっさと寝てしまうことにします。


2000年9月12日

「雑誌選び」終了。次回からはわたしがその係です。ちょっと大変だけど、なかなかやりがいがあるみたいでちょっと楽しみ。
 でも、憂鬱モードからはなかなか立ち直れません。
 せめて実験でいい結果がでてくれればいいんだけど……。


2000年9月13日

 ついに携帯を新調しました。cdmaOneです。
 残念ながらiModeではないのです。
 今からいろいろ試してみるつもり。iMode対応HPなら見ることに差し支えはないはずですからね。

 怖いのは通信費だけど……cdmaOneは転送量課金方式だから、つなぎっぱなしってことはないと思うし……どうなんだろ。

 必要な人には携帯メールのアドレスもお教えしておきますね。そのうちに(爆)


2000年9月14日

 最近いろいろあって徹夜してしまうことが多いみたいです。
 たいていは友達と一緒なんだけどね。いけない傾向ですねえ。二人して無理してるような気がする。
 その友達は今週末から中国旅行らしい。いいなあ。
 わたしは国境はおろか、瀬戸内海よりも広い海を越えたことがないので、その辺とってもうらやましい限りですね。
 太平洋を見たことがあるのは東京湾と伊勢湾くらいだし、なにより富士山をまだ見たことがありません。
 富士山の近くを通るのはたいていは真夜中、もしくは雲の上。だから全く見たことがないのです。
 昔は東京からでも見えたらしいけど……今ではほとんど無理ですよね。
 う゛ーん。


2000年9月15日

 とうとうオリンピックが始まってしまったみたいですが、わたしはオリンピックという行事そのものがあまり好きではありません。
 やたら都合のよいナショナリズムの祭典。あまりにも身も蓋もない結果主義。多国籍企業の宣伝主義はある意味仕方ないかもしれないけど。
 そもそも近代オリンピックはギリシャからということになってるけど、はっきり言って今の祭典みたいなオリンピックは第二次世界大戦前の、ナチスドイツが作り上げた物を継承しているに過ぎないんですよ。
 だから、ナショナリズムが前面に押し出されるのかな?
 そういうナショナリズムは嫌いですね。普段は日本が嫌いだとしか思えないような言動をする輩が、このときだけはやたら日本人面したがる。あんたはいったいなんなんだ。

 平和の祭典、ってことも強調されるけど、どうかと思いますね。

 だからといって、競技をする選手には悪い印象は持ってませんよ。
 でも、結果がどうあれ、その人が全力を出せたことのほうがはるかに大事だと思うけどなあ。
 予選は通過できなかったけど、自己ベストを更新したとか。
 いい試合はできたけど、相手がそれより強くて負けてしまったとか。
 そういう面をこそ、見て欲しいものです。
 もちろん、勝った人はとてもすごいと思うけど、その前にオリンピックにでること自体がすごいことなんですよ。
 自分はオリンピックに出たことも出ることもないくせに、いろいろいう輩は見ていてむかつきますね。

 選手のみなさんには、できるだけ全力を出しきれるよう、祈ってます。


2000年9月16日

 土曜日なのに研究室は休みではありません。
 世間では3連休らしいけど、そんなものとは無縁です。
 ほんと、いい加減疲れた……。


2000年9月17日

 今日は某小規模オーケストラの定期演奏会。
 でも、わたしは完全にパワーが切れてしまい、会場に着いたものの午前中は全く使い物にならず、寝ていました。
 おかげで午後からは何とか回復したんですけどね。
 かなり疲れがたまっているようです。しばらくゆっくり休めた試しがないですし。
 今週一週間、保つのだろうか?(汗)

 ちなみに演奏会は成功裡に終了。ついでにわたしのために書かれたという協奏曲も何とか初演に成功しました。
 やれやれ、といったところで。


2000年9月18日

 全然疲れがとれないで、週の頭から死にそうな顔をしているらしく、周りから気を遣われてしまいます。
 まあ、調子が悪いといえば悪いんだけど。
 今の心配は明日のこと。とりあえず、何とか睡眠不足は少しでも解消しないと、毎朝半分寝ながら車を運転しているというとんでもない状況に陥りかけていますからして。
 そのうち、事故で死ぬかも。しかも自損で。


2000年9月19日

 なんとなく、やる気が起きません。
 今日は久しぶりにゆっくりネットしてますが。
 いつもよりはやっぱり短いような気がする。
 睡眠欲の方がはるかに強い今日この頃。


2000年9月20日

 特に何もなし。ほんとに。
 けだるいです。


2000年9月21日

 寝過ごしました。かなりお疲れのご様子。

 最近どうもだめですね。


2000年9月22日

 少し明るい兆しが見えてきたようです。
 かなり力ずくですけどね。まあいいや。
 そんな中、ちょっとお悩みモードに入ってみました。わたしの適性について。
 まあ、結局はわたしの気の持ちようだ、という結論になりました。
 せっかくこの業界に入って研究してるんです。もっと積極的に、知識と自分のやっていることを結びつけて考えられるようになればいいな、と思います。
 それこそ、進路変更なんてその後でもいいと思いますし。それこそ、
 今からでも、遅くない!
 ですね。ふむ。
 そう考えると、ちょっとやる気がでてきたかな。


2000年9月23日

 県民オーケストラ発足式+初合奏。
 この「県民オーケストラ」というのは、「石川県民交響楽団」が正式名称で、来年9月に完成するオーケストラホールのこけら落としのための記念オーケストラなのです。
 曲目は、ハイドンのオラトリオ「四季」より「春」と、ホルストの「惑星」全曲。
 それに向けての発足式なのです。

 その前にパート決めがありました。わたしの希望は「惑星」のトランペット1or3番。簡単なオーディションの結果、めでたく3番トランペット担当になりました。
 3番パートを吹くのは、それこそ4年ぶりかも。それまでは大学オケでも某小規模オケでも、ずっとトップでしたから。一部の例外を除いて。まあ、1番と3番はそう変わるわけではないですけどね。最初から3番ねらいだったし。
 これから1年間、頑張っていくのです。

 それが終わってから更新しようと思って作業していたのですが、なかなかこれがいい量になって、しかも途中長電話なんてしちゃうものだから、結局今日の更新はできず。
 仕方ないので明日の夜、25日付で更新をねらおうと思います。
 というわけでよろしくです>おおる


2000年9月24日

 久しぶりに楽譜屋さんにいって色々物色。重複表現。
 ブラームスのピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェンの交響曲第8番、ウェーバーの『魔弾の射手』序曲、ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』のスコア、トランペット曲集ゲット。
 その後は……誰にも言えない(核爆)


2000年9月25日

 ほんとに久しぶりに更新。しようと思ったのに帰るのが遅くなって、けっきょくできず。
 ファイルに訂正が見つかったのが運の尽き。
 あっさり力つきて、次の日。


2000年9月26日

 というわけで今日付けで更新。今回の白眉は『ヴェルダ・サーガ』公式サイトオープン。みなさま、本屋さんで見かけたらぜひ手にとって下さいませ。
 なかなか、思うようにいかなくて色々苦労してます。ほんとに色々。
 どうにかならないのだろうか(滝汗)


2000年9月27日

 ちょっと幸せな瞬間。
 ガソリン給油量が前回と全く同じだったとき。
 ほんとにそうでした。当たり前ですが料金も同じ。
 そういう偶然って、あるんですね。


2000年9月28日

 かなりブルーな瞬間。
 実験操作を間違えて、余計なものを入れてしまったとき。
 おかげで見事に失敗しました。貴重な材料が……。
 別に高価なわけではないですが、自分で作った材料ですからね。あーあ。

 おかげでやり直し。やってられんわ。我ながら。


2000年9月29日

 やり直したら、うまくいったみたいです。
 だめだめじゃん、自分。


2000年9月30日

 今日も今日とて本屋で買い込み。
 急に高校の時の友達にあって、ちょっとびっくり(笑)

 どうもなかなか文庫本が減らないようです。大昔の日誌に書いてある購入物品のうちでもまだ読んでないものがあります。
 今日、やっと「第二ファウンデーション」を読み終わりました。訳ものはちょっと時間がかかる(汗)
 これではいけないと、自分でも思ってはいるのですが……時間がない(汗)

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