−第零章 独り言−
あいつは優しい。
いや、優しすぎっていってもいいくらいだ。
今でも、パーティの全員に気を配っていて。
それでいて、いつもいつも、貧乏クジばっがりひいてやがる。
優しいクセに、むくわれないあいつ。
優しいだからだろうか、あいつが怒ることなど、滅多にない。
現に、オレもあいつが怒っているところを、見たことがない。
今でも覚えている、あいつと初めてあった時─
オレは盗賊の跡取り息子で、あいつは代々騎士の家系。
まったくかけ離れた間なのに、オレたちを結びつけるなにかが存在した。
あいつのオヤジが騎士団長に就任した時。
そのパーティーに、じいちゃんとオヤジに連れられて行ったとき。
オレは、あいつと出会った。
あんまり堅苦しかったパーティーだったから、オレとあいつは二人して抜け出したんだっけな。
で、その時、それを祝う祭りが、町の方でもあって・・・。
子供の小遣いが、その日一日で全てふっとんだんだっけな。
その後、お互いの父親から、こっぴどく怒られたのも覚えている。
なにをどう怒られたかは覚えていない、けど「血は争えんな」と行ったオヤジの台詞だけはハッキリと覚えている。
ひいじいちゃんのときから、オレたちの家系は関係を持っていたらしい。
けど、そんなこと、オレたちには関係なかった。
あいつはオレを必要としていた。
オレもあいつを必要としていた。
何が得とか、何が損とか、そんなもんじゃない。
一緒にいたいから、ただそれだけだった。
別に、ホモだとか、そんなんじゃねぇけどな。
あの日から、毎日のように遊んでいた。
マリーナも時々、オレたちの中に入ってたけど、二人で会うことの方が多かったような気がする。
そのうち、マリーナがクレイに惹かれているコトに気付いた。
それも、当然のことなんだろうと思う。
あいつの優しさに、惹かれない人間などいない。
それも、全部がいいことづくめだった。
会う人間には、いいやつらばっかりで。
それでいて、あることあること全てが不幸づくめだった。
その時もそうだった。
あれは、オレたちが冒険に出る半年以上、一年以内くらい前。
オレたちはアイツに会ったんだ─
最初に言ったけど、あいつはよく貧乏クジばかりひいてる。
よく言えばそれだが、悪く言えば、それは不幸だ。
それでも、あいつが立ち直れないほどのキズを負うことは、なかったんだ。
アイツに会うまでは─
クレイは、幸福を手に入れた。
不幸という代償と共に─
−第一章 嘆きのマリア・1−
「おまえなぁ・・・」
「なんだよ、その顔は」
オレは、いい加減あきれ果てた。
「ウチは便利屋か?」
「しょうがないだろ?家は絶対許してくれないんだから」
「ったく・・・」
オレは溜息をつきながら、ソレを受け取った。
ソレとは、クレイの手の中で震えている─子犬。
茶色の毛並みで、鼻は黒い、典型的なかわいい犬。
この雨の寒さで、震えているのに違いない。
外は雨。
その中、クレイは傘もささずに立っている。
雨の闇と、夜の闇が重なり合って、更に暗い外。
「とりあえず、中は入れよ。濡れたままじゃいけねぇだろ」
「あぁ」
ずぶぬれの髪と服。
「クレイ、大丈夫?」
ちょうど、マリーナがタオルを二枚持ってきた。
その片方を受け取り、子犬を下ろした後、クレイに投げる。
「ありがと」
受け取ったクレイは、自分の髪を拭く。
オレの足下の方では、マリーナが子犬を拭いている。
「ったく、落ちてるモノ何でも拾う、そのクセ直したらどうだ?」
そう、今の子犬は捨て犬。
それを、わざわざクレイは拾うのだ。
しかも、オレの家に持ってくる。
理由は、誰もが良く知っていること。
あいつの家は、ペット禁止。
あれだけ広い家だ。迷子にでもなられれば、ひとたまりもないのだろう。
それに、あのじいちゃんが、動物嫌いらしいからな。
「あら、落ちてる財布、中身だけ抜き取るトラップよりましでしょ?」
「うるせぇ。盗賊の性だよ」
ったく、マリーナはクレイの味方だからな・・・。
まっ、いいことやってるクレイを注意するオレもオレだケドよ」
「ゴメンな」
「クレイが謝るコトじゃないでしょ」
クレイのタオルを受け取り、マリーナは奥に入っていく。
ちなみに、こっちは裏口のほう。
たぶん、あのタオルは風呂場から持ってきたんだろうな。
「急に雨、振るからさ」
「服、着替えるだろ?」
「たのむ」
こんなことは日常茶飯事だ。
ここドーマは、観光名所でもある。
白い龍の伝説、って、いかにも偽物っぽい伝説も、他の所では、けっこう有名でもあるらしい。
さらに伝説の『青の聖騎士』クレイ・ジュダの子孫が住む町でもある。
今のところ、その白い龍の伝説、ってのの確信を得て、さらに観光客を増やす、ってのが町の方針だって、誰かが言ってたっけか?
まぁ、その時に、ついでに犬やら猫やらを捨てていく観光客もいるんだ。
ゴミを捨てるならまだしも、なぜ動物を捨てるのか、って話だが。
で、クレイはそんな動物を拾っては、自分の家におけないがため、わざわざこっちまで持ってくる。
まぁ、最初の方はちゃんと飼ってやったが、最近では、どこか引き取ってくれるところを探してやっている。
そんなこんなで、家の中に動物がいないことはない。
「じゃ、適当にえらんどけよ」
「あぁ」
オレの部屋、の隣の空き部屋。
そのさらに隣の部屋には、服のため場所がある。
まぁ、いらなくなった服をためているんだが・・・。
そこから、自分のサイズにあうような服を選び、着替えているだろ。
「じゃ、これで」
「あぁ、またな」
「気をつけてね、クレイ」
ドアが閉まり、雨の音にまじって、クレイの足音が聞こえてくる。
「さってと、風呂にでも入るか・・・」
もう、とっくに夜である。
夕飯もクレイが来る前にすましてあるし・・・。
やることもないし、その後は寝るか。
「後、トラップだけだから」
「あぁ、わあってる」
今、親父たちは出ているのだ。
たしか、ドーマよりさらに東にあるダンジョンに行ったとか・・・。
バンッ
「クレイ!?」
「んだよ、今度は・・・」
さっきやった傘をどこにやったのか。
傘もさしていないクレイが、そこに立っている。
「おばさん呼んで」
ズカズカと上がり込んでくるクレイ。
「おい、ちょっと・・・」
「いいから早く」
クレイは、床に置いた。
なにを置いたか、それは・・・女。
雨に濡れ、血にも濡れた服。
オレは、瞬時に見抜く。
─手首を切っている─
マリーナは、奥へと走っていった。
あいつは、こんな時でも、やっぱり役に立つ。
「おまえ、今度は・・・」
そんな中、オレは思わず呟いた。
緊迫した中のその台詞に、対するツッコミは、正確に帰ってきた。
「女、拾ったのかよ」
─第一章 嘆きのマリア・2─
─クレイの視点で─
「あぁ〜あ」
雨の中、オレは溜息をついた。
追い打ちをかけるように、雨が更にひどくなったような気がする。
猫を拾って、トラップの家に預けたまではいい。
問題は、このあとなんだよなぁ・・・。
家に帰れば、祖父の小言が待っているだろうし、それに加え、今は、兄さんたちがちょうど家に帰ってきている頃だ。
猫を拾った、という理由が通じるワケがない。
さらに、兄さんたちの口添えもあるだろうしなぁ・・・。
「ホント、落ちてるモノなんでも拾うクセ、直したほうがいいのかなぁ」
ドーマの雨の夜道。
いつもより暗いその道。
けど、なぜかその時。
俺の目は、闇の中を全て見通した。
いや、目だけじゃない。
オレの五感、さらには第六感までもが。
何かを感じて、オレは右を見た。
暗くて影も見えていないのに、たしかにそこにある影。
「・・・人間が・・・落ちてる?」
─ワケないだろ!!─
言葉の返事を心でして、オレは駆け出した。
といっても、ほんの数メートルの距離。
傘を折りたたんだ後、その人を抱きかかえた。
─・・・?─
甘い香りがする。
それと一緒に、微かに臭う別の匂い。
─・・・血だ!!─
右手首のところだけが、異様に濡れている。
同じ液体の感触なのに、それが血だと、瞬時に察知した。
「どうしよう・・・」
第六感まで異常に冴えていたオレだが、なぜか頭の中だけは混乱していた。
考えついたコトは、ただ一つ。
「トラップの家に・・・」
さっきまで歩いていた道。
今度は傘もささず、人を抱えながら、走っていった。
─トラップの視点に戻る─
「んで、オレの家に持ってきたワケか」
「ゴメン、迷惑だったな」
着替えをすませたクレイ。
オレのベットに腰掛けて、少し落ち込んでいる様子。
っだぁ〜、だからこいつは・・・。
「んな落ち込むこったぁねぇんだよ。このバカ!」
「でも・・・」
「でももクソもねぇ。じゃあ、あの時おまえは冷静に判断して、こっちに来るのが迷惑だと思ったら、来なかったのか?」
「自分の家に行ったかもなぁ・・・」
こっ、こいつは・・・。
「おめぇなぁ・・・そっからの自分の家の距離と、自分の家の庭の広さ、考えてみろよ」
「そりゃあ、トラップの家に行く方が近いけど・・・」
「人の命がかかってんだ。別にいいさ」
・・・ってちょっと待て、おい。
「んだよ、その顔は」
「いや、おまえにしては珍しく・・・」
「珍しく?」
オレが、その続きを問いただそうとしたその時。
タイミング良く・・・マリーナが部屋に入ってきた。
「大丈夫だったか?」
「えぇ、母さんが手伝ってくれたおかげで、なんとか」
よっぽど働いたんだろう。
雨の降る、こんな寒い夜に、びっしょり汗をかいてやがる。
えっ?なんでおまえは手伝わなかったかって?
そりゃあ、オレも手伝おうとは思ったさ。
けど、母ちゃんとマリーナに「邪魔!」って言われたからなぁ・・・。
さすがにあの二人に言われりゃ、出て行くしかない。
「じゃ、見張り、お願いね」
「はぁ?」
「見張りよ、み・は・り」
「なんでだよ?」
「私はもう疲れたから・・・」
う〜んと背伸びをするマリーナ。
そういえば、もう深夜零時を過ぎているんだよな・・・。
「大丈夫だろ。自殺なんて、そう何度もするもんじゃないだろうし」
「あの子、常習よ」
「なんだって?」
今まで黙っていたクレイが立ち上がる。
それを見て、マリーナは首をすくめた。
「手首に傷跡がいくつもあったし・・・それに、首にアザがあったわ」
「じゃあ、トラップ、行くぞ」
「おい、オレもかよ」
「交代で、だ」
それだけ言った後、クレイは部屋から出ていった。
はぁ・・・結局、付き合わなきゃならねぇんだよなぁ。
「両方とも、起きておいてね」
「あぁ?なんでだよ」
「お互いの理性を保たせるため」
「はぁ!?」
なんのことか、さっぱりわかんねぇ。
マリーナは、意味ありげに目線を送った後、部屋を後にした。
「おい、トラップ!」
「あぁ、わあったわあった・・・」
頭をかきながら、オレは部屋を後にする。
マリーナの言っていた言葉の意味もわからないままに。
が、もちろん。
マリーナの言った事が現実にならないわけはないのだ。
─第一章 嘆きのマリア・3─
「おい、こら、クレイ!!」
「あっ、あぁ・・・」
お願いだから、寝ないでくれ。
おまえが寝ればオレは・・・。
「トラップ、おまえ、よく眠れないな・・・」
「どうしておまえは眠れるんだ?」
普通だったら、眠る方が普通だ。
特にクレイは、この雨の中、この女を運んできたのだから。
オレだってオヤジの居ない間に修行はしてるさ。
現に、今日だって少しハードな練習をしている。
いつもだったら、ベットの中に入って、気付けば朝、ってとこだ。
だけど、どうすればいい?
見張りをクレイにまかせて、オレは眠ろうと思っていた。
マリーナがなに言おうが、オレは眠るつもりだった。
この部屋に入るまでは。
だけど、どうすればいい?
この、目も覚めるような美女の前で。
事実、一目見てオレは目を覚ましたし、その上眠れそうにもない。
そして、次の試練(と言うべきだ、これは)
オレの・・・理性を保つことだ。
「クレイ!!」
「あっ、あぁ・・・」
お願いだから眠らないでくれ。
オレの、理性を保たせるために・・・。
「おっはよ、トラップ。よく眠れた?」
「寝るな、と言ったのはおまえだけどなぁ」
「あれっ?」
マリーナは、心底驚いたような声をあげた。
そして、隣のクレイとオレを見比べる。
「ひょっとして・・・起きてた?トラップ」
「あぁ・・・」
「トラップがオレを起こしてくれたんだぜ?今日、雪降ってないか?」
と、マジで外を見るクレイ。
オレは、窓から差し込む日差しに、目を細めた。
・・・今日は、晴れた、か。
「あれっ?晴れてるや」
「きっと、あまりもの変事に、雨雲が逃げちゃったのよ」
そう言いながら、マリーナは半歩下がる。
逃げる準備は、OKというワケだ。
「オレ、寝る」
そんなマリーナを尻目に、オレは部屋の外に出た。
「朝食は?」
「いらねぇ。昼飯の時、起こしてくれ」
そう言って、オレは部屋を後にした。
その時、ふと、思う。
クレイ、家に帰らなくていいのか?と。
─マリーナの視点で─
「あのトラップが、ねぇ」
「ホント、しんじらんねぇ」
と、クレイは笑ってる。
「ホント、トラップって自分のコト以外、全然起きないもんね」
「そうそう。前に学校全部でキャンプ行ったときなんざ、あいつばっかり起きてたせいで、先生たちに、怒られたんだよなぁ」
「あぁ、私、同じテントじゃなくてよかった、って思ってたんだよね」
「他に・・・」
「クレイ!」
私は小さい声で怒鳴った。
だって・・・彼女が起きたんだもん。
「・・・?」
スッと上半身だけを起こす彼女。
ソレと同時に布団が彼女の体に沿って落ちる。
昨日のびしょぬれだった服は、一応、私の服で代用している。
そう、身長はだいたい私くらい。
髪は、エメラルドグリーンで、ウェーブが入っている。
トラップが理性を保たせるのに苦労させただろう、綺麗な顔立ち。
それは、目を閉じていた状態でもわかる。
そして、彼女がこちらを向いた─
「あ、れ?」
小鳥のように高い、ソプラノの声。
その小鳥が好んでとまるような、細い腕。
その腕を、まじまじと見る琥珀色の瞳─
─第一章 嘆きのマリア・4─
その視線が、腕から部屋の中へと移された。
しばらく見回した後、彼女は私と視線を交える。
「私・・・」
「自殺しようとしたんでしょ?」
「おっ、おい・・・」
そんな単刀直入にせめていいのか?
そう言わんばかりのクレイだが、私は構わず続けた。
「ここにいるクレイが、この家まで連れてきてくれたの」
「・・・そう・・・」
彼女は残念そうに呟いた。
「・・・殺してくれなかったのね」
「えっ!?」
何を言ったのか、よく聞き取れなかった。
「なんでもない」
それだけ言うと、彼女はベットから降りようとした。
ちょっ、ちょっと待って。
「ダメよ、動いたら・・・」
「放っておいて。他人事でしょ?」
素っ気ない調子で言った後、彼女は強引に立ち上がる。
けど、結果は目に見えていた。
貧血で、結局ベットに戻る。
「ほら・・・」
「・・・大丈夫よ」
すくっと立ち上がる。
今度は、まったくふらつく様子もない。
─あれだけ出血してたのに─
トラップたちには言ってなかったけど。
死んでもおかしくない傷の深さだったんだから。
「でっ、でも・・・」
「大丈夫。私みたいな厄介者は、すぐ消えるから」
そう言って、ドアの方へ歩いていく。
「待って!」
「・・・何?」
彼女が返事をしたのは、私に対してではない。
ドアを阻んだ、クレイに対して、だ。
「ここから出さない」
「監禁のするつもり?」
「ここを出たら、また、自殺をするんでしょう?」
「そうね。そうしなければいけないから」
「そうしなければって・・・」
私は、クレイの方─ドアの方へとまわった。
「あなたが死ねば、家族が苦しむのよ」
「そうね・・・」
「人が死ぬことが、どれだけ悲しいか知ってるの?」
「知ってる」
「だったら・・・」
言おうとしたところで、彼女は後ろを向いた。
そのまま、ベットの方まで歩いていく。
「だから私は、死ななければいけないの」
次の瞬間の彼女の行動は、まさに瞬時。
ベットの上に上がり、一気に窓の方へと走った。
そのまま、窓を開ける。
「ちょっと!」
ここは二階。
けど、頭から落ちれば・・・。
「こうすれば、死ねるかもね」
「待っ・・・」
次の瞬間、まさに一瞬。
彼女が窓枠から手を離し、重力に従おうとした、一瞬。
ダダンッ
一歩、二歩踏みだし、ベットに足をかける。
そのまま、懸命に手を伸ばし─手をつないだ。
クレイが、その時、風になった。
「邪魔をしないで!!」
瞬時にソレを突き放す。
一度止まった体が、再び重力に流されて・・・。
「バカ!!!」
クレイの怒鳴り声が聞こえる。
そして─二人の姿が消えた。
「ここにいるのね・・・」
ドーマの町外れ。
一人、誰かがそこに立っている。
「待っててね、姉さん」
フード付きのマントをゆったりと羽織っており、表情も定かでない。
男か女かすら─
「仕事が終わったら、遊んで上げるから」
その微笑みの奥に─
「どこにいるんだ?」
エベリンのとある一角。
一人、誰かがそこに立っている。
「どこにいるんだ?いったい」
暗い裏路地のため、表情すら定かではない。
男か女かすら─
「早く─楽にしなければいけないのに」
その微笑みの奥に─
─第一章 嘆きのマリア・5─
「ホント、何やってるんだか」
「ゴメンナサイ・・・」
「気にしないでください」
さっきの部屋の、隣の部屋。
そこに、今度はクレイが横たわる。
「はい、終わったわよ」
と、巻いたばかりの包帯をたたく。
包帯を巻けばわからないけど、この下は、おもいっきりすりむいてるんだから。
「ありがと」
あの後。
すっごい音の後、クレイの悲鳴。
窓から下を見下ろすと、クレイが下敷きになって倒れてる。
二階だからこれだけのケガで済んだモノの・・・。
もう一つ、不思議なこと。
二階から一階の間で、よくも上下を入れ替わったモノだ。
これは、クレイの運動神経によるものだろうか?
それとも─
「ゴメンナサイ」
「だから、そんな頭下げないで・・・」
さっきから頭を下げてばっかりのこの子。
ホントに・・・。
「頭を下げるくらいだったら、最初からやらないの」
「でも・・・」
「でもじゃないでしょ」
「マリーナ」
突然、クレイが口をはさんだ。
「いいんだ」
「・・・わかった」
ホント、優しいんだから・・・。
「ありがとうございます」
「お礼もいいから」
「いいえ、お礼をさせていただきます」
「えっ!?」
驚いた顔のクレイ。
彼女は、スッとクレイに近づくと、その右手をとった。
「なにを・・・」
「少しの間ですから」
私の方からは見えないけど。
たぶん、笑ってるんだろうね、彼女。
だって、クレイ。
目を逸らしてるから。
『風よ マリアの名のもとに命ずる 彼の者の傷を癒やせ』
不思議な風が、部屋を駆けめぐった。
その風が、部屋から過ぎ去った、と私が感じたとき。
彼女が立ち上がった。
「終わりました」
「・・・治ってる」
急いで包帯を取ったクレイ。
さっきまでたしかにあったケガの後が、綺麗さっぱりとれている。
そう、とれているって思えるくらい、綺麗に。
「魔法なの?」
「そんなものです」
と、今度は私に笑う彼女。
クレイが目を逸らすのがわかる気がする。
「凄いんだね。えっと・・・」
「マリアです」
「マリア・・・」
「ありがちな名前でしょ?」
「うんん、すっごく似合ってると思う」
「あなたは?」
「マリーナっていうの。よろしくね」
さっきまで彼女を恨んでいた自分が嘘のよう。
あの笑顔で、全てが吹っ飛んだみたい─
「クレイ、起きて大丈夫なの?」
「あぁ、さっきのきいたみたいだから」
と、腕を振ってみせるクレイ。
全然大丈夫みたいだね、この調子だったら。
「ねぇ、マリアさん」
「マリアでいいですよ」
「じゃあ、マリア。あなた、どうして・・・」
「マリーナ!」
不意に、下の方から声が聞こえてきた。
「ちょっと手伝って!」
「わかった!」
たぶん、昼食を作るのかな?
とりあえず、私はドアを開けた。
「クレイ、後よろしくね」
「あぁ」
それだけ言い残し、私は階段をおりていく。
クレイ、家に帰らなくていいのかな?と思いながら。
─第一章 嘆きのマリア・6─
部屋に残されているのはクレイとマリアの二人のみ。
もちろん、二人の間に流れる空気は─重い沈黙だった。
それもそのハズだ。
自殺をしようとした人間と、それを止めた人間。
それも、二度も。
いったい、なにをどう話していいのか。
それ以前に、話しかけていいものか─
壁際に立つマリア、ベットに腰掛けているクレイ。
沈黙に耐えかね、口を開いたのは─
「・・・あの、さ」
「なんですか?」
遠慮がちに話しかけるクレイ。
壁際にそっと立っているマリアは、静かにこたえた。
「自殺するのは、やっぱりいけないよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって・・・」
どう言えばいいのだろうか?
人が自分の意志で死んではいけない理由を。
それがいけない、やってはいけない、とはクレイにもわかる。
それをどう説明すればいい?
ありふれた常識こそが。
一番難しいこの世の問題なのかもしれない。
「ゴメンなさい。そんなコト、言えないわね」
「いや・・・」
その先の言葉は続かない。
何も言われていないのに、言い負かされた気分だ。
「・・・ありがとうございます」
再び口を開いたクレイ。
「なんですか?」
「この傷」
「私が原因だから」
素っ気ない言葉。
話しかけているクレイに、機械的に返事をしている程度だ。
「魔法、なの?」
「そんなものです」
「はじめてみたなぁ」
「魔法使いは少ないですから」
会話が弾まない。
と、いうより、会話をするたびに、空気が重くなっていく。
そう、クレイには感じ取れた。
かといって、会話を続けなければ、彼女が消えていきそうな気がした。
「あの、さ」
「なんですか?」
「言いにくいけど」
「遠慮しなくてもいいですよ」
そう言われても、困るような気がするクレイ。
「どうして、自殺をしようと?」
「初対面の人に聞くコトじゃないでしょう?」
「そう、だね」
実はかなり口が立つのでは?と思うクレイ。
さっき、クレイはトラップに言いかえされたような感覚を覚えた。
会話がなくなればもちろん。
さっきよりも重い沈黙のみが広がる。
「さっきの質問だけど・・・」
「こたえる必要はないと思います」
「それと、さ。その敬語、やめてくれない?」
「言われる筋合いはないでしょう」
「そう、だね」
何を言っても言いかえされる。
そのたびに、部屋の空気は重くなっていく。
この悪循環を、どう抜け出そう?
そう、クレイは考えた。
「クレイ」
ドアが開き、マリーナが中に入った。
と、同時に、一歩退く。
部屋の中の空気の重さに、思わずたじろづいたのだ。
「なに?」
「お兄さん、来てるよ」
「えっ!?」
立ち上がるクレイ。
「今、下で母さんと話してるから。行った方がいいと思うよ」
「わかった」
それだけ言うと、クレイはマリーナの横を駆け抜けていく。
マリーナは、その部屋に戻った。
見張りの交代、というわけだ。
「あなたは、帰らなくていいの?」
「帰る必要はないし。行くところがあるんです」
静かにこたえるマリア。
「どこに?」
「たぶん、地獄に」
─第一章 嘆きのマリア・7─
「笑えない冗談ね」
「本当のことを言っただけです」
溜息をつくマリーナ。
─この子、本気みたいね─
その表情、言葉の裏の思い。
その全てが、彼女が本気だと言うことを示している。
「・・・なんで、なんて聞かないけど」
「けど?」
「死なないでね」
「どうしてですか?」
「泣く人がいるから」
「・・・私には、いません」
うつむき、首を振るマリア。
「私のために泣いてくれる家族も、友達も・・・」
「あなたの関係者を言ってるワケじゃないのよ」
「えっ?」
「クレイよ」
「クレイ?」
「さっきまであなたといたお人好しの男よ」
そういえば、名前すらも聞いていなかった─
相手が、あれほど親切に接してくれたのに─
「どうして、ですか?」
「バカみたいに優しいから」
「えっ?」
「ホント、バカみたいに優しいから、なんでもかんでも自分に関わったことは自分のせいにするのよねぇ。道ばたを歩いていて、すれ違いざまに人が転けたら、頭下げて、わざわ病院までおぶっていくみたいに・・・」
事実その様なことがあったような口調。
本当にあってそうだから、なおさら怖い。
「自分が助けた人間がすぐ後に死ねば、なおさらよ」
「そんな、会ったばっかりで・・・」
「だから言ったでしょ?バカみたいに優しいのよ」
「・・・そうなんです、か」
「あなたが死ぬのは勝手だけど。死んだ後のコトまで考えてね」
「・・・考えたからこそ、死ぬんです」
「えっ!?」
訝しそうに顔をしかめるマリーナ。
「悲しむ人がいない今だから─死にたいんです」
「どうして?どうして死にたいの!?」
「・・・言う必要はありません」
「人が死ぬことが、どれだけ悲しいことか、知ってる?」
「・・・知ってるからこそ、私は死ななければならないんです」
「イムサイ兄さん!」
「クレイ!」
下で待ち受けていたイムサイは、クレイの方を振り返る。
「じいさん、かんかんだったぞ。
オレにここに行けって命令したときなんか、コップ割ってたからな」
「えぇ!?」
「大丈夫だ。ちゃんと事情を説明しておくから」
「・・・ありがと、兄さん」
ホッと胸をなで下ろすクレイ。
もしかすると、祖父が来ていたのかも知れないのだから。
「それよりも、大変みたいだな」
「・・・そうなんだ」
うなだれるクレイ。
「オレも、協力したいんだが・・・明後日にはここを発たなけりゃいけないからな」
「大変だね」
「おまえも早く、修行に出て、とっとと帰ってこい」
「うん」
事実、その日取りはだいたい決まっている。
トラップと一緒に旅に出ることも─
「まっ、事情は聞いたから。
早く帰らないと、じいさん相手にしてるアルテアが可哀想だ」
「・・・アルテア兄さん一人なの?」
「母さん、リビングストンの方に行ってるから」
「サラの所に?」
「みたいだな」
歳の差はあるが、彼女たち二人はかなり仲がいい。
今日行ったのは、おそらく一緒に料理をつくるためなんだろう。
「おまえが黙ったまんま外泊するの、初めてだからなぁ」
「そういえば、イムサイ兄さんも・・・」
「・・・思いださせるな」
以前、イムサイが無断で帰ってこないコトがあった。
その時は、偶然強盗現場に居合わせたイムサイが、大活躍で強盗を捕まえ、その後、警察の方で事情聴取を受けていたのだが・・・。
イムサイが帰ってきて、事情を説明するまでの家の中は─
生き地獄だったという。
「あの時の恩返しと思えばいいだろう」
「でも、アルテア兄さんが一番損してるんじゃ・・・」
「たまには、おまえ以外の奴が不幸でいいさ」
「・・・そだね」
妙に納得するクレイであった。
─第一章 嘆きのマリア・8─
「マリーナ」
クレイが部屋の中に入ってくる。
もちろん、鈍感なクレイが、部屋の空気を察するはずもない。
場違いなほど明るい声。
マリーナは、聞こえないほどの溜息をつく。
「ちょっと、クレイ」
「なに?」
部屋の隅にクレイをひっぱっていくマリーナ。
横目でマリアを見ながらも、クレイはマリーナにしたがう。
「どうだった?クレイ」
「イムサイ兄さんがなんとかしてくれそう」
「・・・よかったね」
マリーナも、クレイのおじいさんの恐ろしさを知っている。
ヘタをすれば、こちらまでとばっちりをくらうほどなのだから。
「それで・・・」
「ちょっと!」
急に大声を出すクレイ。
相手は、マリーナではなく、マリアに─
「どこいくんですか?」
「いつまでもここにいるわけにはいきませんから」
ちゃっかり、ドアノブに手をかけている。
「家に、帰ります」
「ダメですよ」
「なんでですか?」
「帰しません」
「だから、なんで・・・」
「また、自殺しようとするでしょ?」
一瞬、ドアノブから手が放れる。
「あなたに止められる理由は・・・」
「あるんじゃねぇの?」
急にドアが開く。
彼女を阻むようにして立っているのは、トラップ。
「寝てたんじゃ・・・」
「さすがに、人が死ぬ死なないの所で、眠るわけにはいかねぇだろ」
寝てただろうけどね。
マリーナは、トラップの髪の一点─寝癖の後を凝視する。
「邪魔しないでください」
「オレが今どいたら、クレイに殴られる」
そうトラップが言ったときには、クレイは彼女の後ろにまわっていた。
男二人に囲まれてはいるが、まったく毅然とした態度。
「あなたたちに、私を拒む権利はないと思いますけど」
「オレも、死にたい人間止めようとは思わねぇさ」
溜息をつくトラップ。
「けど、オレはまだ死にたくねぇからな」
「オレが殺すみたいな口振りで・・・」
「どうだか」
そう言いながらも、目だけはマリアを向いている。
「意地でも止めるんですね」
溜息をつくマリア。
「こういう手は、あまり使いたくないんだけど・・・」
空を仰いで、マリアは言葉を詠う。
『風よ マリアの名の下に命ずる 彼の者たちを戒めよ』
ビクンッ
一瞬、クレイたちが震えた。
その後は、指一本も動かせない。
「便利な魔法ね」
マリーナまでも、魔法によって動きが取れないようだ。
「ゴメンナサイね」
「謝るくらいだったら!!」
クレイが叫んだ。
「最初から!自殺なんかしなければいいんだ!!」
ビクンッ
─えっ!?─
たしかに、今。
クレイの指が、微かに動いた。
「最初から!!」
─戒めがとけた─
クレイの体が自由となり。
その勢いのまま、マリアを廊下の壁に打ち付ける。
「関係ないだなんて言うな!!簡単に自殺するなんて言うな!!!」
すさまじい形相でマリアをにらみつけるクレイ。
その声は、家中に響いている。
「オレはあなたを助けた!だからこれからも助ける!!」
その時には既に、トラップたちの戒めもとけている。
マリアが、彼の声に、顔に、驚いている。
「助けるのに、権利なんて必要ない!そんなものがいるんなら!!」
自分でさえ、何を言っているのか意識していない。
クレイの、裏の一面が、一部、表に出てきた。
ただ、それだけのことで─
「貴女のそばにいるだけで。それでいいだろ?」
荒いクレイの息。
一通り息を整え、のどを湿らせた後、最後の言葉を絞り出す。
「・・・わかった?」
「・・・えぇ」
ドサッ
同時に尻餅をつく二人。
クレイは、ただ─笑っていた。
2000年5月3日(水)22時04分〜5月29日(月)22時02分投稿の、誠さんの小説「貴女の騎士」第一章です。