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10月の叡智

2002年10月01日

 うわ〜、めっちゃえらそうやん。

 このタイトルは既にシリーズ外。でも、このシリーズが一通り本棚に揃ってる人って、どれだけいるかかなり心配になってきました(苦笑)
 答えてしまいましょ。別にだれも気にしてへんかったと思うけど。
 このタイトルは、新潮文庫版シャーロック・ホームズシリーズのタイトルからいただいてました。つまり、
  緋色の研究
  四つの署名
  シャーロック・ホームズの冒険
  シャーロック・ホームズの思い出
  バスカヴィル家の犬
  シャーロック・ホームズの帰還
  恐怖の谷
  シャーロック・ホームズ最後の挨拶
  シャーロック・ホームズの事件簿
  シャーロック・ホームズの叡智
 ですね。最後の巻は、入りきらなかった短編集なので、9月でこのシリーズは終わってたわけです。
 来月からどうしようかな。

 今日から勤務先が経営統合。新聞にも出てたかも。でもうちの部署はほとんど関係なく、わたしも実験に苦しみつつ時間が過ぎていっただけ。やるきな。

 月の頭っから台風襲撃。わたしは帰るに帰れず、研究室で実験していたら、いつの間にか台風通過。すごい速さだったらしい。
 帰る頃には雨は弱くなっていて、でも風は相変わらずで、あたりには枝とか葉っぱとかが散らばっていて。
 とりあえず、わたしの周りでは何事もなくて良かったです。


2002年10月02日

 おやすみ


2002年10月03日

 最近世間をにぎわせている問題だが、あまり感情的になるのはやはりよくないと思う。
 かの国も警告していたような気もするが、やるといったら本気でやりかねないのがかの国。ほんとになかったことにされてしまうかも。
 出せないのは出せないだけの理由があるのではないだろうか。
 たとえば情報系にかかわってしまっているとしたら、もう国外にはおろか国内にも出すことはできないだろう。
 それは、もう死んだと同じようなものである。
 国家に対するには、個人の命はあまりにも小さすぎる。特に、人の命をあまり重視しないような国においては。

 いつかの新聞で読んだような気もするが、そもそもこの国は自国民の命に対して異常なほど敏感なマスメディアを持っている。
 それはそれで悪くないことかもしれない。だが、ほかの国の命に対してはあまりにも鈍感だと感じるのは気のせいだろうか。
 確かに、自国民のことは気になることではある。だが、それと同等に、その事件の被害にあっている他国民についても触れるべきではないだろうか。
 中島みゆきのアルバム「わたしの子供になりなさい」のラストに収録されている「4.2.3.」という曲は、ほとんどメロディラインのないモノローグで構成されている。その内容は、海外で発生した、この国の人間がかかわった事件の中継から感じたことのようだ。その曲では、この国のその事件を解決するために倒れた人間、そしてその家族。それから、それについてまったく触れず、この国の人間が無事だということだけをただ伝えるマスメディアについて触れ、最後には「この国は危ない、また同じ過ちを繰り返そうとしているのではないか」と詠っている。
 この国の姿勢がそうである限り、また独り善がりなことをやらかす危険は残っている。そして、その面においては、変わったといわれつつ実際は60年前とさほど変わらないのだ。さらに、200年前から同じことをやっている国は、今また同じ過ちを繰り返そうとしている。
 人間は、もっと精神的に成熟しなければならない。それは、他者の痛みを想像し、理解するということに他ならない。

 痛みを痛みで返すと、さらに痛みが帰ってくる。因果応報という言葉は、西洋には存在しないのだろうか。
 民間人が破壊活動を行ったらテロで非合法だが、軍隊が破壊活動を行うことは合法なのだろうか。そこにはどのような差があるというのだろうか。国と国民の幸福の名のもとに、破壊活動を行うことが善とされる時代は、すでに地層の下に埋まっているのに。

 確かにかの国は、許しがたい犯罪行為を行った。しかしそれを原因として扉を閉ざしてしまうことは、この地域にとって決してよい選択肢ではない。
 その意味では、合意を不当なものとして扱うことや、重要視しないということはあってはならないことなのではないだろうか。

 ちなみに、かの国とこの国は、過去から交戦状態に陥ったことはない。

 はっきり言おう。ニューストップで取り扱うほど、この事件は重要なのだろうか? 感情的になるのは直接被害者だけでよく、マスメディアはもっと冷静に取り扱うべきではないだろうか? 被害者の心情やプライバシィにまで土足で踏み込む権利が、マスメディアにはあるか?
 重要でないといっているのではない。年代を見るとちょうど両親の若いころにあたり、わたしの地元は事件発生地に近い。そして、今もそれが行われていたとしたら。わたしにとっても他人事ではないのだ。

 どうでもよい話だとは言わない。しかし、もっと静かに取り扱うべきだと思う。


2002年10月04日

 わたしの会社は給料日が他と変わっていて、月頭しばらくしてから。
 故にこの時期は一番貧乏していたりします。
 勢い、食事も質素なものに。買い置いてあったスパゲッティを茹でて、買い置いてあったソースでしみじみといただいたりします。

 明日は帝都。会社の新人研修。だる〜。土曜日は寝かせてください。日曜日も寝かせて熟成させてください。月曜日になっているといい感じで腐ってます。だめやん。


2002年10月05日

 あのな〜。
 自爆スイッチは漢のロマン。っていうやんか〜。
 ほなや〜、工作船に付いとった自爆スイッチも漢のロマンやったりするんかな〜。
 ロケット噴射式脱出装置が付いとったりするんかな〜。

 朝見事に寝過ごして、乗る予定だった高速バスを逃し、仕方なく割高な特急で帝都に向かうことに。
 まあ、特急なら途中乗り換えで、かなり楽に会場までたどり着くことが出来たんですけどね。

 今日の研修はディベート。ネットディベートはけっこう強い方だという自覚はあるけど、オフラインのはどうだろう。
 結果。バックグラウンドが足りなかった。でも、勉強の仕方はわかったような気がした。

 その後、わずかの時間で新宿経由、新しいオタクの街池袋サンシャイン下へ。アニ○イト池袋本店でサイン会の整理券を受け取り、なぜか版元にもなかった小説が平積みだったのでそれを買い込み、続いて例によって秋葉原へ行って、S○fmap Mac Collectionにいってうろうろしていたらすぐに時間がなくなったので高速バスで家に帰る。帰ったあとは定例会。


2002年10月06日

 労組か何かの「定期大会」が「ケーキ大会」に聞こえて仕方ない今日この頃。
 ケーキだったら、チーズケーキが好きです。イチゴショートはイチゴが酸っぱい時期のは不許可。シロップ漬けもだめ。条件厳しいのでいつもは食べません。チョコレートケーキだったらあまり甘くないものという条件で、コーヒーか紅茶でいただきます。他はあまりよくわかりません。


2002年10月07日

 某お方の某質問コーナで触れられている「ぱすてる」の顛末は、この日誌の今年の1月に書いてあったような気がします。
 間違いなくどんぶり屋だったはず。
 西のオタク街、日本橋(にっぽんばし、と読むのが正しい)の、堺筋線が通っている大通り沿いにさりげなくある飯屋。
 ちなみにこの日本橋、路地2本くらいはいると秋葉原とは違う意味でやばい地域だと聞いたことがあるので注意した方がいいかも。
 それにしてもあのサーヴィス券、なんであっちにあるんだろう? もはや曖昧。酒呑んでたし!(自棄)
 酒の席の記憶保持には、サフランがいいという話を聞いたことがあります。ほんとに効くかは実証されてないようですけどね。効く成分は含まれているそうな。


2002年10月08日

 ノーベル賞、今年は物理ですか。ニュートリノとは。
 それにしても小柴先生、話が長すぎ(笑)。みんな寝るんじゃないの(核爆)

 ニュートリノとは、原子核よりはるかに小さい、直径10-17 mの素粒子の一つです。電荷がなく、相互作用がほとんどないため、地球すら通り抜けてしまう素粒子です。もちろん、わたしの体をも、今も通り抜けているはずです。
 恒星での核融合反応や超新星爆発の時に発生するそうです。
 宇宙の終焉後には、光とニュートリノしか残らない、とか。
 ……ごめんなさい、わたしにはこのくらいしかわからないです(汗)

 そして公共放送ニュース。UOが特集されてました。
 ……TETORAに、たった半年で追いついた?
 そんなんじゃ、SFだか現実だかわからないですよね。


2002年10月09日

 先ずは、このサイトをどうぞ。

http://iq.sourcenext.com/

 ふ〜ん、といった感じですね。試してみてください。
 ……わたし? わたしは……どうでしたでしょうね。公表するようなものでもないし。
 まあ、あんまりだったらここで紹介しようとは思わないと思いますが(謎)

 ノーベル賞、化学賞も受賞しましたね。
 完全にノーマーク。マスコミの人も大変だ(苦笑)。
 企業の現役研究員でも受賞するチャンスはあるんですね。
 タンパク質分析か。今年はちょっと遠いな。


2002年10月10日

 目の日。

 最近の仕事は書き物中心なので眠いです。
 で、今日は特に何もなかったのにやたらと疲れているので、リアルタイム版ですがこれだけ。
 書きたいこと、あったような気もするんだけどなあ。

 某イベント……参加申し込みはしたけど、届かないということはだめだったのかなあ。
 残念。金使わなくていいという説もあるけど(苦笑)


2002年10月11日

 どうも、今の朝の連ドラがわたしの感覚に合わないというかなんというか。
 いや、始まったばかりでこなれてない時期だというのがあるのかもしれないけど、それにしてもねえ。
 前のがすごく良かったというわけでもないんですが。やっぱりドラマはわたしには合わないのかなあ。


2002年10月12日

 深沢先生のサイン会のために帝都に。
 今回はいつもと違うバス、インターチェンジまで出てバスに乗る。到着地は新宿駅西口。
 バスを降りたところで、勤務先の同僚に突然会い、びっくり。彼女は友達と遊ぶらしい。
 わたしはそのまま西口から甲州街道に出てMac専門店、PowerLabに行く。iMac専用アクセラレータとか、HDDとかいいなあ、欲しいなあ。OS 9専用機にして、PowerBookG4はOS X 10.2.1を搭載したいなあ。
 それはとにかく。駅に戻って山手線、池袋駅に向かう。東○ハンズ近くのメシ屋で昼食。
 今日の目的その2は、東急ハ○ズ池袋店に行くこと。いいなあ東急○ンズ。何でもあるもんなあ。
 にゃもの1万円枕もばっちり。デンマーク製。ブルジョワめ!(笑)
 って、買ったものはなかなか見つからないボールペンの替え芯だけだったんですが。下手に買い物を始めたら、怖ろしいことになるのは太陽を見るより明らかですからして。
 工具とか棚とか、見てるだけで楽しいのはいいんだけど、いつも使っている実験器具があったりするのはなぜだろう(笑)
 近くのコンビニに行こうと道を歩いていたら、バッタリと知り合いに会う。すぐ近くに住んでいることは知っていたけど、まさか道で会うとは思わなかった(笑)
 そろそろいい時間になってきたので、会場たるアニ○イトにいく。外にあるガチャガチャで、「あ!」のがあったのでお金を入れてハンドルを回す……何も出てこない。中を見ると、空っぽ。悲しみに暮れながら店員さんに言って、返金してもらう。通販で買うことが出来なかった小説の平積みを減らす。と、会場の準備をしていて、アナウンスが入ったので外に出て並ぶことに。
 いつの間にか列はいい感じで長くなっていて、裏手の方にまでのびている。わたしが列に付いたあとも、どんどん長くなっていった。
 待ち時間が長そうなので、わたしは用意してあった小説を取り出して読む。ふと周りを見ると、皆さんは手に入れたばかりのデュアン・サークIIを読んでたりする。通りかかった人の一言「みんな同じ本読んでるね」に苦笑。
 通行人の兄ちゃんが4人、怪訝そうにこちらを見て、笑いながら何かを話している。ジャンケンを始めた。負けたらしいひとりが、並んでいた人に行列のことを聞いていた。知らないことは知らないままにしておいた方が、いいということもありますぞ。文字すら普段読まない人間が、小説関係に興味を持つとは思えないし。
 並んでから約1時間、ようやく建物にはいる。まだ列は半分くらいかなあ。裏手の急な階段を上り、2階の会場にはいる。
 で、ふぁずさんにお会いする。お久しぶりです、という感じでした(笑)。
 サインしていただき、握手して、後の人に迷惑になるのですぐに場を離れる。近くにみやびさんがいらっしゃったので軽く雑談。
 まだまだ時間がかかりそうだったので、7階でやっていたスパイラルの原画展を見て、外に出て近くの某中古アニメショップでフォーチュンのPSゲームサントラをようやく見つけて購入。SFCのは見つからないなあ。
 結局、サイン会は2時間みっちりと。ふぁずさん、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
 終わった後、みやびさん、たまりんさんと軽くお茶をすることに。その前にたまりんさんは物欲を満たしていた(笑)。
 うろうろしてから、池袋駅近くの喫茶店で軽く会話。年月というのは、流れるものでございます。
 そのあと、みやびさん、たまりんさんの順にお二人と分かれて、わたしは例によってアキバへ(笑)
 軽くあたりを見て回る。いつの間にかLA○Xゲーム館がなくなってやんの。探してみたら、HOBBY館に統合されていた(苦笑)。駅前にはいつの間にかゲー○ーズがいたりするし。
 年月というのは、流れるものでございます(笑)。
 新宿駅西口に戻り、さく○やでニッケル水素蓄電池(笑)を買って高速バスに搭乗。
 ……疲れた。

 夜は定例会。リンクターミナルのことなど。


2002年10月13日

 ひたっすら何もしませんでした(笑)
 いえね、本を読んでリンクターミナル作業していただけだけど。
 どうも、気力が起きないなあ。
 やり始めないと気力は起きないというけど。


2002年10月14日

 休みだというのに珍しく朝早くに起きて、天気がいいので洗濯機を回して、埃っぽいので掃除機を掛け、気になっていたので楽器を久しぶりに洗う。楽器はなかなか怖ろしいものが出てきたりして、やっぱりといった感じでした。
 それから買い出し。蒸し器欲しいなあ。


2002年10月15日

 帰ってきたようですね。
 願うことは一つ、興味本位のよけいな報道はやめて欲しいということだけ。
 何が漏れて、何が原因で大変なことになるか、さっぱりわからない国ですからね。

 にしても、その程度の報道陣にすらあっさり破られる嘘って、なによ。

 仕事は谷間に入ったので割と余裕があります。その代わり眠くて仕方がないけど(苦笑)


2002年10月16日

 あかんわ。眠うてしゃあないわ。
 頭ぼけぼけや。ダルいわ。


2002年10月17日

 ぼけら〜。


2002年10月18日

 ほへ〜。
 仕事が捗ってるのか全然捗ってないのかさっぱりわからない今日この頃。


2002年10月19日

 なんにもせえへんかったわ。ひたすらうちでごろごろ。
 あかんわ。それは豆知識やのーて豆の知識やてつっこんで欲しかったんや。
 何ゆうとるんやろ。

 天気悪いから洗濯しても乾かへんし、部屋は片づかへんし。
 ふぁ〜、だるだるや〜。


2002年10月20日

 ベルヌーイの法則。ホテルの部屋のトイレが時々変なにおいなのは、このせいなんでしょうね。
 高いビルの排水トラップの水が、高速の水が下水管を流れることで吸い出されるわけですね。
 それで、下水管のにおいが上ってくるわけです。

 ベルヌーイの法則といえば、飛行機が飛ぶのはまさにベルヌーイの法則。
 そろそろ自分でも何を言いたいのかわからなくなってきたのでこの辺で。

 久しぶりにフォーチュンに関する文章を書きました。小説じゃないですけど、近いうちに公開できるかと思います。

 前々から一応知ってはいたのですが、「宅急リプトン」再販決定でございます。リンクターミナルに掲載しておきました。

 他にもいろいろやらないといけないこともあるんですが、なかなか手が着かないでここに至っています。
 鉄は熱いうちに打てと申しますが、この場合は完全に冷えて固まってしまったんですね。
 どうにかしないといけないです……。やらないとやる気は起きない。とにかく、やらなければ。


2002年10月21日

 週頭というのは、ほぼ例外なく憂鬱なものです。ゴミ出し忘れたなりよ(爆)
 そんな中、新しい部長の歓迎会がありました。いい感じに高級な料理屋。いい感じに会費を取られたのですが、いい感じにそれに見合った上等な料理が出てきました。
 さすが社会人の飲み会だ。恐ろしいものだ。

 そんな中で帰ろうとしたら、ちょっとショックな知らせ。仕事がらみだけど。
 ……そうなの? という感じで詳細はそのうちに。


2002年10月22日

 訪問販売なんて嫌いだ!


2002年10月23日

 出ましたね、ハリポタ4巻。NHKニュースになるくらい話題になる本というのも滅多にないですよね。
 とにかく、本が売れるということはいいことです。なんか、ドラクエみたいですね(笑)
 かく言うわたしは未だに読んでいなかったりするのですが。
 だって、これだけ読むものが残っているのにそんなものに手を出しちゃ、ねえ。
 まあ、これに伴って昔からのファンタジーが復活してきているのはいいこと。指輪もゲドも新装版になったし、ドラゴンランスも復活したし。新しいファンタジーも出てきて、売れている。
 運悪くつまらない本に当たらないことを祈るだけですね。
 というか、国内作家のファンタジーが店頭平積みになっているのをとんと見ないのはどういうことなんだろう?
 (正統派西洋ファンタジーという意味で)素地が違うのか、傾向が違うのか、好みが違うのか……。
 つまらないということでは、ないと思うんだけどなあ。

 正確に書くと今のファンタジーブーム、ハイ・ファンタジーブームなんですよね。日本人がハイ・ファンタジーを書くとそう簡単な話にならないから、玄人向けになる、のかもしれない。
 ハリウッドみたいな正義と悪の対決なんて、日本人には似合わないのかもしれない。で、宮崎アニメになるわけですね。

 昨日のを引きずって、なんかいまいち仕事が進まなかった。
 つまらない出費はあるし。ますます腹が立ってきた。


2002年10月24日

 処理完了。
 今日はオケの練習。
 やっぱりハンバーガーはモスですね。ついでにいうと、パソコンはMac、車はダイハツ(!)、携帯電話はauだし、野球は西武(!)。コーラはそもそも飲まないので関係なし。
 マイノリティに惹かれる割合が多いような気がする今日この頃。
 多く出回っているものが、わたしに合うことってあまりなかったりして。


2002年10月25日

 週末というものは、常にうきうきするものでございます。
 体力に反比例して気持ちだけが元気になっていく。

 もうすぐ通販の割り引きポイントが切れてしまうことに気がついたのでCDを購入。
 こっちでも中島みゆきを出来るだけ揃えるのが目標。父には負けない!(無理)

 大唐風雲記3を読了。取り扱う時代が好きで、結構面白かったけど欠点をも見つけてしまった。
 自分に生かせたらいいけど……そんなことってくるのかな(遠い目)


2002年10月26日

 昼は会社関係で出かけていて、ついでに面談。
 近くに住んでいる会社の先輩が結婚するそうだ。
 めでたいですねえ。

 午後は家に帰ってすっかり寝てました。
 負けちゃったし。

 ヤマモト・ヨーコ9巻読了。ネタが懐かしい(爆)


2002年10月27日

 家で一日ごろごろごろごろ。ひたすら読書というかなんというか、たまった漫画の山を切り崩していく一日でした。
 よく溜め込んだもんだなあ。まだ全然片づいてない。


2002年10月28日

 富士山の麓は、快晴だった。
 雪化粧した富士山が、この上なくはっきりと見えていた。
 そんな中わたしは、河口湖ICから高速道路に乗った。目的地は、奥飛騨上宝村。
 予定としては、河口湖ICから中央高速道路に乗り、岡谷JCTで長野高速道路に乗り換え、松本ICへ。そこから国道158号(以下R158)で安房峠を越え、R417で上宝村に到着する計画である。
 予定通り、中央道で甲府を通過する。八ヶ岳を越えたあたりで、なんとなく雲行きが怪しくなってきた。確か、天気予報では強い冬型で、高い山では雪が降るかもしれないとのことだった。
 いやな予感に駆られつつ、車は順調にゆっくりと北上していった。

 長野県に入ったあたりから曇りがちになり、小雨も混じるようになってきた。松本に着くころには冷たい雨が降っていた。長野道を降り、R158をさらに西に進む。このあたりからだんだん標高が上がってくる。市街地を抜け、家がまばらになり、山が迫ってきたころ、道路標示の気温は4度くらいだった。山道に入ったころ、気温は3度くらいになっていた。ダム湖が見え、途中の休憩所に立ち寄ったあたりで2度くらいになっていた。
 さらに西に進む。安曇村も半分を通過。と、雨に混じって白いものが。トンネルをひとつ抜けると、なんとなく白い風景が目の前に広がっていた。気温はこのころ1度くらいになっていた。
 人家も途絶え、ダムを跨ぎ、トンネルを抜けていくたびに風景の白さが増していく。乗鞍岳に通じる道や、野麦峠を抜ける道は積雪通行止めの表示が出ていた。坂巻温泉は完全に雪化粧していた。このあたりになると、道沿いにも白いものが見えてきた。
 さらに山を登っていく。車の速度も次第に遅くなってきていた。
 ついに安房峠の麓、上高地への分岐点に到着するころには、道に雪が積もっていた。
 わたしの車も、周りの車もほとんどが普通タイヤでのろのろ運転。バスは停車スペースでチェーンを履いていた。
 この辺でのわたしの心の中は、「まじかまじかまじかまじかまじかまじかまじかまじかまじかまじか……」だった。
 当初予定していた安房峠旧道越えは、あえなく計画倒れに終わった。わたしはまだ死にたくない。600円(軽自動車等)払ったほうがはるかにましというものである。
 後で聞くと、すぐあとに旧道安房峠も、温泉の上で通行止めになったという。

 すぐ前を走っていた、所沢ナンバのスカイラインは安房峠トンネルの手前で引き返していった。正しい選択だと思う。しかしわたしは、飛騨までなんとしても行かなければならなかった。せっかく予約した宿がふいになるのは、なんとしても避けたかった。安房峠トンネル通過。雪はますますひどく、わたしが北陸でよく見た、積もるときの雪の降り方だった。料金所からR417に変わり、平湯温泉方面に向かう。
 急な坂では、車が何台も立ち往生していた。バスはチェーンを装着していた。わたしは下り坂なので神経をすり減らしながら、ブレーキバッドはすり減らさないように慎重に坂を下っていった。一度、やむを得ずブレーキを踏むと、車は横に動いた。
 平湯温泉郷は雪の中だった。まださほど積もってはいなかったが、屋根にも道にも雪がある状態。ほとんどの車はかなり慎重な運転だった。
 平湯温泉からさらに下に降りると、福地温泉、新平湯温泉、栃尾温泉と並んでいる。わたしの目的地は、新平湯温泉。しかしながら、山を降りていくとともに雪も目に見えて減っていく。予約していた宿にひとまず着くころには、雪は完全に姿を消していた。代わりに、冷たい雨が降っていた。すっかり冬である。
 まだ時間が早かったので、栃尾温泉近くにある道の駅で昼食を取り、さらに神岡まで下ることにした。神岡町には、2002年ノーベル物理賞受賞理由となった、カミオカンデがある。山を降りていき、神岡市街地に入ると「星の駅 神岡」というのがあった。
 神岡の街は、ノーベル賞で盛り上がっていた。展示施設には、光電子増幅管(?)の実物が置いてあったり、著名な物理学者の寄せ書きドアが置いてあったり、ニュートリノについて説明している施設があったりした。しかしながらニュートリノの説明、やはり難しいものである。このくらいのサイズになると、はっきり言ってもう印象でしかわからない。
 ちょうどいい時間になったので、上宝村に戻り、宿にチェックイン。温泉とか露天風呂とかを堪能。夕食は飛騨牛の炭火焼など。料理がたくさんあって、わたしでもぎりぎりだった。峠越えでかなり疲れていたのか、部屋に入ってごろごろしていたらいつのまにか眠っていたようだ。

 そんなわけで、奥飛騨に行って来ました。今日と明日は、このレポを掲載します。

 道すがら、中島みゆきを聞いていたんですが。「ヘッドライト・テールライト」、技術屋泣かせ?
 なぜか、涙が出て止まりませんでした。
 眠気覚ましに掛けたはずが、それ以上になったような。


2002年10月29日

 朝目が覚めると、外はすっかり雪景色。困ったもんだ。帰り道に考えていた安房峠は、もはや使えない。
 ひとまず朝食を頂く。朝食は純和風。朴葉味噌を軽く炙ってご飯につけて食べると非常に美味。思わず何杯も食べてしまう。
 部屋でゆっくりして、午前中のうちにチェックアウト。下に降りれば何とかなるだろう、と思い、雪のちらつく中車を走らせる。かなり急なカーブを曲がったあたりで、周囲から雪が見えなくなった。
 今日の目的地は飛騨古川。大工仕事と和ろうそくの街。「さくら」の舞台といった方がいいかな。
 中心部にある、「飛騨の匠文化館」(入館料200円)に行き、中を見学。純和風の部屋っていいもんですねえ。匠の技に驚嘆。古い大工道具など。
 いろいろな木組みを紹介するコーナでは、実際に組み立てることが出来る。よくこんな組み方を考えつくものだ、と感嘆することしばし。夢中になって木組みを組み立てていたら、いつの間にかかなり時間が経っていた。

 外に出て、古川の街を散策。「さくら」のモデルになった和ろうそくの店には、おばちゃんがたかっていた(苦笑)。
 街には用水が流れ、用水には鯉が棲み、かなりいい雰囲気。
 ……それにしても、寒い! 雨は降っていなかったものの、かなり冷たい空気の匂いはすっかり冬。
 ふらふらと街を回った後、帰路につく。帰りは、予定を変更してR41から高山、下呂を経由してR257で中津川から中央道に乗ることに。途中、突然の眠気に襲われて試しにカフェイン剤を購入。車に戻ってしばらく走らせる……なんだかあまり利いてないような気が。
 とにかく何とか中津川に到着。ここまで約3時間。中津川ICから中央道に乗り、恵那トンネル通過。長い!
 飯田あたりで、あ〜るたちが走ったあたりをおそらく通過。後はひたすら車を走らせ、時々休憩を挟みつつ河口湖ICへ。中津川ICからここまで、2時間半くらいか。
 ……疲れた。雪道のせいで、ゆっくり紅葉どころじゃなかったような気がする。


2002年10月30日

 やってられるか。つまらんわ。
 慢心したか?
 そして、人気は過去のもの。そんなにいいものかねえ。よくわからないや。

 それはそうと。某お方に、乙一氏に文体が似ているのではないかという指摘を受け、本屋に寄ったついでにちょっと立ち読み。正直言うと、今まで食わず嫌いだったんですが。
 ……そうですか?>Cさん
 自分では、そうかなあ? という感じなんですけど。
 まあ、自分ではわからない文体の癖みたいなものがあるのかも、しれないですね。年代はほとんど同じだし。

 今日ようやく届いた中島みゆきの最新アルバム「おとぎばなし〜Fairy Ring〜」を聴く。ジャケットの後ろ、ライナーノートの裏表紙は“Fairy Ring”だった。これ、ぱっと意味がわかる人ってどれくらいいるのかな。エルフの指輪とは、多分関係ないです。
 イングランドだかの言い伝えで、妖精が踊ったところの跡は丸く花が咲いて残る、というのがあったような。それを“Fairy Ring“と呼んでいたような。記憶が曖昧でごめんなさい。
 聞き込むまでは感想は書かないのですが、一言。いいわあ。


2002年10月31日

 ついに10月も終わりでございます。
 って、あまり日誌を書く余裕がないのでこの辺で。

 もうすぐ25か……(遠い目)

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