(1) パステル・G・キング、23歳の夏。 時は空しいままに過ぎてゆくことをしみじみと実感していた。あれから――「あ の人」がいなくなってから――まるまる3年。時は、何もしていないうちに過ぎて いった。あの人を……クレイを、この世に呼び戻す手がかりは、まだなにもつかめ ていない。 3年前、パステルが20歳だった、あの夏の日。悲劇は何の前触れもなく起こっ た。いつものように、みすず旅館を出て、いつものように、パステルはクレイと買 い物に出かけて。帰り道の、人もまばらな、みすず旅館のすぐ前で。いきなりクレ イが、後ろから短剣で左胸を突き刺された。 それは本当に一瞬。あまりの出来事に唖然とした。本当に、時が止まったように も感じた。はっ、とパステルが顔を上げた時には、もう、そのクレイを殺した人影 は、村の家の角に消えるところだった。瞳に映ったのは、鮮やかな青く長い髪。透 き通った空のように、青い髪だった。その色だけがしっかりと焼き付いた。 目の前には、一人の、大切な人の屍。パステルは、この時初めて気付いた。自分 の想いに。仲間として、じゃなくて、愛しい人に対する、切ない気持ち。 「クレイ……」 声が震えている。涙のせいだろうか……? でも、もう返事は返ってこない。あの、 いつもの微笑みは返ってこない。自分が安心できる、帰る場所はもうない。こんな にまだ暖かいのに。泣いたって、何も返ってこない……。 気が狂いそうだった。もう声も聞けない。こんな辛いことなんて、なかった。気 がつくとパステルは、ショートソードを抜いていた。それを、ゆっくりと自分の胸 元にまでもっていく。不思議と怖さは感じなかった。 ――その時。 「!?」 ふいに、ショートソードを持っていた右手を引っぱられた。反射的に、その力の主 の方を見る。そこには、見慣れた赤毛の人物が立っていた。……怒ったような顔で。 「トラッ……プ……」
(2) あの後、パステル達はドーマを経由し、タル・リコ村を目指していた。もう、こ んな用事で訪れる事なんて、ないと思っていたのに。村に着くまでの間、パステル は一言も話さなかった。そして、トラップも。 村に着き、エグゼクさんに会って、クレイを蘇してもらうように頼んだ。そこま ではよかった。血は、クレイの母親にもらってきてあったし。ただ、エグゼクさん はこう言ったのだ。 「この人には何か、呪いがかけられているようじゃ。まぁ、その呪いのおかげで状 態を維持していられるようじゃが。……つまり、保管所には入れる必要がないとい うことじゃな。とにかく、その呪いを解く方法を探してきてもらわねば、蘇すこと はちと無理じゃのう……」 それからキットンが調べた結果、その呪いを解くには、ある薬草と、動物達の協 力、そして、魔力を秘めた、拳くらいの大きさの水晶が要るらしい事が分かった。 * * * * 3年前のあの日も確か、こんな日だった。空は晴れ渡っていて、夕日が綺麗すぎ るほどに映えていたのを、クレイと2人で見たのを覚えている。3年の時が過ぎて も、パステルは、クレイの表情ならどんなものでも思い出せた。困ったような顔、 怒った顔、照れた顔。そして、なによりも自分に向けてくれたあの笑顔を。でも、 それらはすべて静止画だった。あの日から凍り付いた笑顔。どうしようもない暖か さをもっているのに、それは動かない。 「……テル、パステル! 晩ご飯食べにいこうよ、ねぇ」 誰かの呼びかける声に我に返って、振り返る。 「あ、アルジェ……」 「また悩んでたんだね? まさか忘れろとは言わないけどさ、ご飯は食べに行こー よ。あたし、おなか減っちゃった」 目の前には、青い髪をもった女の子。あの日見たような、鮮やかな青の……。でも、 違ってる点が2つあった。1つ目は、髪の長さ。あの日見たのは、腰くらいまであ りそうなロングヘアだった。でも、目の前の少女は、肩までもない、ショートカッ ト。そして、もう1つは、目の前の少女には、幾束か緑の髪が混ざっているという ことだった。パステルと、この少女との出会いは、あの日の1ヵ月後まで遡る――。
(3) パステル達がアルジェと出会ったのは、タル・リコ村から帰って数日の、あの日 から約1ヵ月後の日だった。その日もみんな口数は少なく、昼になって、昼食を取 りに猪鹿亭へ向かおうとして、みすず旅館の扉を開けた時。 ガツンッ 「あ、あたたた……」 驚いて下を見ると、こっちから開けられて、思いっきり扉に頭をぶつけたらしい少 女が座り込んでいた。いや、正確に言うと、しりもちをついていた。 まぁ、そんなことはどうでもいい。問題は相手の髪の色。基本的には、青。当然 といえば当然だが、パステル達の視線は、そこに集まった。 「……? えーっと、あたしの髪がどうかしたんですか?」 少女の言葉で、はっと我に返る。 「あ、すっ、すみません! ちょっとした事情があって……。あっ、大丈夫ですか!?」 「あぁ、大丈夫ですよぉ、このくらいなら。どんくさいもんだから、慣れてますん で。ところで……事情って?」 これがパステル達と、アルジェとの出会いだった。 「――ということなの」 初めはなんとかはぐらかそうとしていたパステル達だったが、アルジェ――猪鹿亭 までついてきた――の様々な説得と、人のよさそうな顔によって、すべて、話すこ とになった。 「……そう、そういう事情だったのね。ごめん、嫌なこと思い出させちゃったかな?」 ちなみに、アルジェはもともと人なつっこい性格なのか、話している間に、ていね い語を使わなくなった。本人いわく、 「年も同じくらいだし、いいじゃん♪」 だそうだ。だから、パステル達もため口で話している。 「いえ、結局話し出したのは私達ですしね。それに……まだ、忘れようにも忘れら れません」 重く言ったキットンの言葉に、みんな神妙にうなずく。その場の空気が沈黙に耐え 切れなくなった頃、その様子をしばらく見ていたアルジェが、口を開いた。 「よし、そういうことなら、このあたしが協力するわ!」 「え、え? でも……」 「どうせあたし、あの旅館に泊まるつもりだったの。旅は道連れっていうじゃない。 それに、そのクレイって人、ファイターだったんでしょ? あたしもね、ファイター なんだよ。だからさ、戦力的にも役にたつと思わない? ……っていってもまだレ ベルは10だけどね」 アルジェは、そこまで一気にまくしたてた。ちなみにパステル達のレベルも、 10、11くらいだった。 「で、でも、関係ない人を巻き込むのは……」 パステルが言い淀んでいると、横でトラップが言ってのけた。 「いいんじゃねーの。こいつの言うことももっともだしさ。それに、たとえ1人で も手伝ってくれるっていうんだ。おれ達は今、猫の手も借りたいくれーの状況なん だからよ」 「そう、そうよね……。じゃあ、えーっと……」 まだ名前を聞いていなかったことに気付き、ちらっとアルジェに困ったような視線 を投げかけた。 「あ、名前? あたし、アルジェだよ。アルジェ・クリートンっていうの」 「それじゃ、アルジェ。これから、よろしくね!」 「よろしくだおう、あーじぇ!」 「うん、よろしくね!」 こうして、このパーティに新たな仲間が加わった。
(4) カランカラン…… 涼やかな音が、猪鹿亭に鳴り響く。たった今開けられた扉からは、パステルと、 アルジェが顔をのぞかせていた。 「おっせぇぞーっ、パステル!」 「あ、パステル、アルジェ、こっちこっちぃっ」 初めのセリフは言わずもがなだと思うが――先に行っていたトラップだ――、後の セリフの方は誰かと言うと。 ルーミィだ。パステルが成長しているということは、他の面々も成長していると いうわけで。当然(?)、ルーミィもきっちり成長していて、ただいま人間でいう、 8歳くらいになっている。言動にまだ幼さが残るけれど、パステルをちゃんと「パ ステル」と呼べるようになったあたり、確かに成長していた。 それはそうと、トラップたちが陣取っている席の方を見てみると、2人と1匹し かいない。つまり、トラップとルーミィ、そして、シロちゃんだけ。 「ごめんごめん……あれ? キットンやノルは?」 席まで行き、椅子に腰掛けながら、パステルがきいた。 「あれ、パステル、言わなかったっけ? 2人とも、今日からまた行っちゃうって」 パステルの疑問に、きょとんとした顔でアルジェが答える。 「いっ、いっ、言ってないよっ!? ってあれ? わたしが聞いてなかっただけか なぁ?」 「だぁぁーー、人の話ぐれぇ、聞くようにしろよなー」 ……前言撤回。 パステルは、ちっとも成長していなかったかもしれない。いくら悩んでいても、 パステルはパステルのようだ。 とりあえず、キットンとノルが何をしに行ったのかを説明しよう。もちろん、ク レイの呪いを解くための方法を満たすために、2人とも世界中を走り回っていた。 キットンは、呪いを解くのに要る、薬草を探しに行っている。ノルは、できるだけ 多くの動物の協力を得るために、それこそ世界――とまではいかないが、リーザ国 中を駆けずり回っていた。2人とも、1ヵ月に1回はシルバーリーブに帰ってくる、 という約束をしている。もっとも、できるだけ、という条件がついてまわるが。 そして、残っているパステル達は…… 「それでね、パステルぅ、オーシがね、シナリオがあって、こんくらいの水晶だっ て!」 興奮しているのも手伝って、ルーミィの説明は全然要領を得なかったが、それを聞 いていくうちに、パステルの顔が徐々に輝きだした。 そう。もちろん、パステル達はパステル達で、残りの、「水晶」を探していたの だ。実を言えば、パステル達とてシルバーリーブには一旦帰ってきていただけだっ た。普段はエベリンで、バイトをしながら情報を収集し、ちょっとでもありそうな シナリオは、どんなものでもすべて挑戦する、とそういう生活を送っていた。おか げでレベルもすぐに上がり、今では20レベルくらいになっている。3年で、約10 レベルも上がったのだ。クレイが生き返ったら、さぞかしいじけることだろう。何 しろ、死んでいてはレベルも上がらない。 ……また、話が脱線した。無理やり元に戻して、トラップの話……いや、トラッ プによるルーミィの言葉の訳に耳を傾けることにしよう。 「オーシのやろーがよ、なんかいかにも怪しげなシナリオを見つけてきたみてーで な。これじゃなかったら他に何があるんだってぇくらいのもん。なんか、ガケ崩れ でダンジョンの入り口が出てきたらしいぜ。シナリオ書いてきた奴らは入り口あた りですぐ先に進めなくなったらしいけどな、どんな仕組みになってやがったのか、 水晶はきっちり見えたんだとよ。ま、そこらへんは行ってみねぇとわからねーけど な」 トラップのきっちりとした解説を聞いて、パステルはいてもたってもいられなくなっ て、腰を浮かした。 「なに、なに、なに、それぇっ! もう、もっと早く言ってよ! それじゃ、明日 の朝……ううん、今すぐそこに行こう! あ、わたし、すぐに準備してくるからっ」 急いで立ち上がって猪鹿亭から出ようとするパステルの袖を、誰かがつかむ。 「パ、パステル。あのねぇ、まだシナリオも買ってないんじゃないのかなぁ? 今 すぐっていうのは無理だと思うよ。それにさ」 ちょうど、先にトラップ達が頼んでいた料理が来たのを見て、アルジェがそれを指 差す。 「あたし、おなか減っちゃった」
(5) 闇。うっすらと、月の光が差し込んではいる。でも、それを除けば何の灯りもな い。街灯も、家々からの光も、ない。 それはそうだ。今は真夜中の2時3時。そんな時に起きているような人々は、シ ルバーリーブには……いや、少なくとも今日はいなかった。たった1人、例外がい たけれど……。 「明日、必ず――必ず、水晶が見つかりますように……」 月夜に浮かぶ、顔をうつむけた1つのシルエット。静かな空気の中で、手を組み 合わせて祈っている。ぐっと、歯をかみしめて、ゆっくり顔を上げた。 淡い月の光に映されたのは、空のように真っ青な髪。そして、決意と悲しみに満 ちた瞳だった――。 「んんー、よく寝た」 「寝すぎなんだよっ!」 手を思いっきり天にのばしてのびをしたアルジェは、すぐさまトラップにどつか れた。 そう。アルジェは、実はトラップ以上に寝起きが悪かったりする。そんな寝ぼけ まなこのアルジェを、窓から差し込む太陽の光が、情け容赦なく照りつけた。ちな みに、その「太陽」は、今はほぼ真上の少し東かなー、という所にどっかりと座っ ていらっしゃる。 「じゃあ、朝ご飯でも……」 「アルジェ、もう昼だよ」 ルーミィの無邪気な突っ込みに、さすがのアルジェも口をつぐむ。 ……しばしの沈黙。 「あれ? おかしいなぁ」 「ちっともおかしくなんかないわね」 ――と、しばらくアルジェのボケとみんなの突っ込みが交戦していたが、やがて なんとか落ち着いて、昼ご飯を食べに下りることになった。またまたちなみに、太 陽さんは今、ちょうど真上から少し西ぎみで、気持ちよさそうに居眠りをされてい る。ぽっかぽっかとあっつい日差しをまき散らしながら。 いったいいつになったら出発する気なんだか。パステルも、昨日はあんなにあせっ ていたのに、一晩明けると、妙にのんびりしていたりする。まったく、先に誰かに 取られたら、とか、そういうことは考えないのだろうか。 そしてそのまた1時間後。 「みんな、忘れ物はないよねー!」 「OKだよ」 「けっ。んなことすんのはおめぇか、それにアルジェぐれーだぜ?」 「なんですってぇっ!」 「パステル、おさえておさえて……」 「パステル、お顔真っ赤っ赤だよぉ?」 「あ、トラップあんしゃん、ボク忘れ物しちゃったデシ……」 まだ出発してなかったのか、こいつらは。
(6) 「あれが、あれだろ……えーと、変な名前の村」 「そうそう、ヘンクー村ね」 本当に変な名前だ。とは言っても、村を建てた人の名前をとっているのだけれど。 とにかく、このパーティの前方には、木々の間から小さな村が見え隠れしている。 今話に出た、ヘンクー村だ。木々の間から、というのは、ここがズールの森だから。 あまりにも辺境にあるので、乗り合い馬車など通っていないのだ。村の人々は、な んとか自給してくらしている。ちなみに、ここが例のダンジョンに一番近い村だっ た。 「とにかく、あそこに泊まろーよ。あたしお腹減って死にそぉ……」 「ルーミィもだよぉ!」 大食い2人組が、泣きそうな声を出す。まったく、この2人のせいで、どんだけ食 費がかさんでいることやら……。 話が少し反れてしまった。とにかく、2人のお腹の虫が情けないオーケストラを 奏でる。しかし、それも仕方のないことだった。何しろ、もうとっぷり日が暮れて いるのに、あれからなにも食べていないのだ。念のために言っておくと、シルバー リーブとヘンクー村の距離はそんなに離れていない。途中まで乗り合い馬車に乗っ たりしなくても余裕で行ける距離だった。ま、原因はいろいろある。いつものこと だけれど。だから、さっきから「情けないオーケストラ」は、あの2人以外の人の お腹の虫も参加している。 別に、食料を持ち歩いていないわけじゃない。結構たくさんの量持っている。た だ、幾度ものパステルによる、 「もうすぐ着くはずだから……」 という言葉によって、食べていなかったわけだ。そして今に至る。 ぐぎゅるる〜 ぐ〜〜ぎゅるぎゅる またまた奇怪な音がどこぞのお腹からあがる。はぁ……と皆がため息をついた。 「あう〜〜、おいひ〜っ!」 「パステル、パステルっ! ルーミィ、おかわり」 「…………」 どうやったらこれだけ食べて、こんな細い体でいられるのやら。ルーミィはまだ子 供だし、エルフだからわからないでもないが、アルジェはこう見えても22歳であ る。外見と、子供っぽい性格からしたら、見せようと思えば16歳くらいにでも見 える。パステルはひそかにため息をついた。まぁ、そういうパステルもちゃっかり いっぱい食べていたりするのだが。でも、財政担当としては、そうそう食べまくれ るものじゃない。やっぱり、ほかの面々に比べれば少なくなるのは仕方がないこと なんだろう……。 そして、夜。明日はいよいよダンジョンに挑むことになる、ということで、いつ もより早めに床についた。宿は村でたった1軒だけだったけれど、窓からのどかな 田園風景が見渡せたし、布団も太陽の匂いがして、とてもいいところだった。おか みさんもいい人で、明日水晶があるダンジョンに挑みにいくと言ったら、心から心 配してくれた。そんな宿に泊まった夜。 「ねぇ、パステル。起きてる?」 布団のカタマリから声がした。いや、正確に言えば、その暖かな布団にくるまって いるアルジェからなのだけれど。 「うん、起きてるけど。なに?」 パステルが、ルーミィに布団をかけてやりながら応えた。 「あのね、あたしね、明日はなんか、当たりなような気がするんだ。絶対に見つか るって気が……」 「……うん」 「だから、大丈夫だよ。今度こそクレイの呪い、解けるよ。あたしの勘ははずれた ことないんだから。えっと、だから――明日、がんばろうね」 言葉のあとに、照れたのか、布団のカタマリがもぞもぞっと動く。3年間ずっと探 していたけれど、今回初めて手がかりらしい手がかりをつかんだのだ。パステルの 中には、希望とともに、ずっと、違うかったらどうしようという不安が渦巻いてい た。パステルはいつもどおりにふるまっていたつもりだったけれど、アルジェには なんとなく分かっていたようだ。きっと、トラップも気がついているのではないか と思う。何年間もともに過ごした、パーティなのだから。 「……ありがとう。ありがと、アルジェ!」 布団の中から返ってきたのは、不規則な寝息だけ。それは明らかに創られたものだっ たけれども。
(7) 「ここか……?」 目の前にあるのはガケ。しかし別に、ガケの見物に来たわけではない。もちろん、 4人と1匹が見ているのは、そこにぽっかりと開いた、洞窟の入り口である。ガケ 崩れが起きなかったらきっとここにうずまったままだったことだろう、目的の水晶 が置いてあるかもしれない洞窟。 「んーー、暗くって中はあんまし見えないけど、位置からすれば、たぶんここだと 思うの」 パステルが中を覗き込みながら言う。さすがに洞窟、その中にはまったくの暗闇。 「おめえの方向感覚はあてんなんねーからなぁ」 「何か言ったかしら、トラップ!?」 目をきりりとつり上がらせて、パステルがトラップに殴りかかろうとする。しかし、 トラップはそれを造作なく避けた。避けながら、言う。 「でも、これは間違ってねぇんじゃねーの。他にこんなとこありそうになかったし な。……だから腕振り回すのはやめろって」 「えーと、ポタカンポタカン……」 あれからとりあえず入ってみようということになり、入った。それはいいが、本当 に、真っ暗。ということで、ポタカンをつけないと、歩いていけない。ま、それは 普通だから、別にいいのだけれど。 「……あった!」 ポッ 小さく音をたてて、火がつく。とたん、周りが明るくなった。 「えっ……?」 そう、明るく。思っていた以上に明るく。 「どうなってるの〜?」 アルジェが眉をひそめる。パステルも、ルーミィもうーんと考えていたが、それを 馬鹿にするような声が降ってきた。 「ばっか、おめーら、まわり見てみ」 いや、実際馬鹿にしてたらしい。とにかく、その声にふとまわりを見る。そして、 そのまま硬直した。 「水晶……」 そう、入ったところなのに、まわりはびっしりと水晶で埋め尽くされている。まわ りがやたらと明るくなったのは、その水晶がポタカンの光を反射していたからだ。 パステルは、しばらく呆然とまわりを見渡して……そして、何気なく上を見上げた。 「あ、あっ、あれ……!」 目を丸く見開いて、パステルが頭上を指す。つられて、まだまわりを見ていたトラッ プやアルジェも、そこを見上げる。 拳ほどの水晶。 そこには、3年間探し求めていたものがあった。悠然と、輝いている。ただし、 水晶の厚い壁に阻まれて。 「たしかに、入ってすぐ見えるところにあるよね……」 アルジェの言葉には、少し苦い響きがまじっている。目に見えるのに、触れること すらできない。求めているものと同じもので拒まれている。 「とにかく、道がないか探してみようぜ」 その気持ちを取りなすかのようにトラップがそう言って、さっさと奥へと進んでい く。奥には、まだ道があったのだ。 あわててあとの3人と1匹が追いかけていく。確かに、こんなところで惚けてい る場合ではない。やれることはすべてやらなければ。今度こそ、ビンゴだったのだ から! しかし、そんな意気込みはすぐにぐちゃっとつぶされた。 行き止まり。 ただし、ただの行き止まりではない。神様は、少しの救いの手を差し伸べてくれ た。そこには、魔法陣のようなものがあったのだ。そして、正面には1枚のプレー ト。 「……これ、なんて読むんだ?」 だが、トラップは大げさに顔をしかめた。プレートの文字が読めない。こんなとき にキットンがいたら……。と迷っていると、ひょこっとアルジェが後ろから覗き込 んだ。 「えっとね、『鍵を持つもののみに道は開かれる』だって」 すらすらっと読み上げる。そして、パステルとトラップが驚きの目で見ているのに 気付くと、にこっと笑って答えた。 「学校の図書館でね、読んだことだあるの、この文字」 図書館……。学校に図書館など、よほど大きいところでないと、ない。はぁぁぁ、 とパステルが盛大にため息をついた。 「んで、・鍵・ってなんだよ」 トラップはより現実的に、言葉の意味を考えた。 「さあ、プレートには書いてないよ。……でも、この魔法陣から行けるところで手 にはいるとかも考えられるし……」 アルジェが珍しくまともノものを考えている。しかし、それに驚く余裕は今のパス テル達にはなかった。なんとルーミィまで、うーんと唸りながら考えている。 そしてしばらくの時が過ぎ。 「……あのー、みなしゃん、とにかく行ってみたらいいんじゃないデシか? 何も ならなかったらまた考えればいいデシ」 シロちゃんが遠慮がちに提案した。たしかに、その方法しかない。鍵が何を指すの かがわからない以上、悩んだって仕方がないのだ。 「そうだね、そうしよっか。悩むのは柄じゃないもんね!」 そしてパステルの1言ですべてが決まった。一斉にみんなで魔法陣に入る。 とたんに、意識が吸い込まれていくような錯覚に陥った。一瞬で、上下左右の感 覚がなくなる。 ……意識が、闇へと墜ちていった――。
(8) 何も見えない。自分の手の先さえ、見えない。そんな暗闇の中、アルジェは目を 覚まし…… 「ん〜〜……もう食べられないよぉ……」 ……てはいなかった。しかし、何とお約束な夢を見ていることか。とりあえず、起 きてもらわないことには話が進まないので、数時間後まで時を進めることにする。 だから、数時間後のこと。 やっとアルジェはゆっくりと、まぶたを開けた。 「どこ……なのかな?」 1通りまわりを見回して、つぶやく。そしてふと、返事がないことに気がついた。 みんなまだ寝ているのかなとも思ったが、まさかそんなわけはない。つまり、こ こにいるのはアルジェ1人ということだった。 独り。 急にアルジェの顔から血の気が引く。 誰も、いない。 手足の先までがたがた震えてきた。必死で震えを止めようとしても、全然言うこ とを聞いてくれない。とうとうアルジェはうずくまって、両手で自分の体を抱きし めた。こぼれそうになる涙だけは、くい止めている。 「あのときとは違う。違う、違う、違うったら違うのっ!」 沈黙に耐えられなくなり、必死で言葉を絞り出した。初めは小さな声だったのが、 だんだん大きくなり、最後には叫び声になる。喉にひびが入ったように痛い。それ でも、叫び続けた。闇に飲み込まれそうになるから。 もう、何年も前に過ぎ去ったこと。初めて、アルジェ自身を認めてくれた人達。 どういう日々を過ごしたかさえ、おぼろげにしか頭に残っていない。はっきりとあ るのは最初と最期。喜びと悲しみ。アルジェを恐怖から救ったあの人達は、また恐 怖を残していった。 ――おいていかないで―― 最後の願いは、聞いてもらえなかった。闇の中。消えてゆく、大切な人々。 ――ひとりはいやだよっ!―― 誰もいないところにひとり残されて。あの人達を飲み込んだ闇は、アルジェだけ 残して消えた。 『なら、おまえも闇の向こうへゆきなさい』 数年前の恐怖の繰り返しに、突然不思議な声が割り込んだ。柔らかな、誘うような 声。その声に、アルジェは叫ぶのをやめて、顔を少し上げる。 『もう1度、あなたの大切な人達に会えますよ。そう、あの、新しいあなたの仲間 の方々にも……』 言いようのない安堵感が心に染みわたっていった。ゆっくりと、立ち上がる。 『さあ……』 ふらふらと歩き出したアルジェの頭の中に、突如として、1人の人の姿が浮かび上 がった。暖かな光に包まれた、その姿に、はっとアルジェの心が現実に戻る。闇に 消えそうだったアルジェを、連れ戻してくれた人。あのときの言葉が胸に蘇る。 闇っていうのは、自分の心の中にあるものなんだよ。 不思議と、さっきまでの震えが止まった。心が穏やかになる。 それに飲まれてしまったら、心が壊れてしまう。大切な人を、傷つけてしまう。 ふっ、とアルジェの顔に、微笑みが戻った。 (そう。だから、光の中に生きようって決めたのに) そして、アルジェの意識が、再び失われていく。その手の中には、静かに光る、水 晶があった。
(9) 「……う…………」 小さく声をあげて、パステルは目を覚ました。そして、目の前に広がる闇に驚き、 瞬きをする。その上、目もこすってみる。でも、闇は消えなかった。 今度は頭をぶんぶん振ってみる。変わらない。 ほっぺをぎゅーっと引っ張ってみる。もちろん変わらない。 「また迷っちゃったのかなぁ?」 声に出して言うと、余計に不安になってしまった。目に涙がにじみそうになり、い つものトラップの言葉を思い出す。 「うう……どうしよう。……ルーミィ、トラップ、アルジェ、いないの?」 返事は無かった。何も――沈黙以外、何も返ってこない。いつもならトラップが探 しに来てくれるけれど、この闇の中だとそんなことは期待できない。 と、そんなことを考えていた時。 『何やってるんだい、パステル?』 懐かしい、あまりにも懐かしすぎる声が、沈黙を突き破って聞こえてきた。その声 に、パステルの目が大きく見開かれる。 「お……おとう、さん?」 そう。それは、紛れもなく父の声だった。もう10年近く聞いていないが、聞き間 違えるはずもない。 『久しぶりね、パステル。どうしたの、そんなところに1人で。寂しいでしょう? こちらへいらっしゃい』 「おかあさん?」 今度は、母の声。母の優しい微笑みが、パステルの脳裏に浮かび上がる。それに母 の声は、頭の中で奇妙に反響しているようにさえ思えた。 (でも、でも……! おとうさんも、おかあさんも、もう死んでいるのよ! そん なことがあるわけないわ!) 何とかこの現実に反抗する。けれども、頭のどこかに、自然にこれを受け入れよう としている自分がいた。 『どうしたんだ、パステル? こっちへ来いよ』 「クっ、クレイ!?」 また聞こえてきた声に、パステルは思わず立ち上がった。ずっと、ずっと、この3 年間、この人1人のために冒険していた。その人の声が聞こえてくるのだから。 (違う、違う! クレイだって死んでしまったのよ! 向こうなんかに行っちゃだ めなのよ、パステル!) 心の中での叫びは、徐々に力つきてゆく。体が、動き出そうとしている。最後の抵 抗として、パステルは必死に叫んだ。 「さ、3人とも、もう死んでいるはずだもの! わたしはまだ死ねない! おとう さんやおかあさんはもう無理だけど、クレイは蘇してみせるんだからっ!」 『そんなことはしなくてもいいよ。こっちへ来れば、ずっと一緒にいられる。もう、 おれのために苦労なんかしてくれなくていいんだ』 『そうよ。こっちに来れば、わたし達もいるのよ……』 いたわるような響き。しかし、パステルは、その言葉を聞いた瞬間、ぴたりと足が 動かなくなった。 「違う……」 勝手に言葉が口をついて出る。同時に涙も溢れ出した。 「クレイも、おかあさんも、そんなこと言わない! みんな、もっとわたしのこと 考えてくれてるもの! 生きるのをやめろなんて、絶対に言わないわ!」 いきおいあまって、再び前に倒れるようにして座り込んでしまう。それでも、パス テルは泣き続けた。涙が枯れるまで、泣き続けた。 やがてもう涙も出なくなり、泣き疲れた頃、パステルの意識は闇に墜ちていった。 その手の中には、いつの間にか、暖かな光を放つ、水晶のペンダントが握りしめら れていた。
1999年3月10日(水)20時48分36秒〜5月12日(水)18時57分44秒投稿の、蒼零来夢さんの長編です。一部を、作者の要望により書き換えています。これ以降は、ここでの掲載が初めてになる予定です。