一蓮華・1一 「綺麗……」 少女は目の前の景色に目を奪われていた。横には異璃という名を持つ少女が いる。そして、異璃が言葉を発した。 「そうね。まるで、死に魅入られた花園のよう一一」 「え?」 少女は異璃の言葉に疑問の意を投げ掛けた。空から舞い降りてくる蓮華の花 弁には気付かずに。 一一そして。 魂の花園に蓮華のレリーフが1つ増える。九十九人の蓮華達が風に揺れてい た。 「あと1人で蓮華も完成ね。さて、誰にするやら? 薔薇、紫陽花(あじさい)、 菖蒲(あやめ)はもう完成しているはず。もうすぐ全てが出来上がる一一楽し みにしてて下さい、霊帝ヴェルガニウス様」 薄く微笑むと、異璃は姿を消した。まるで、風にとけるように……。 「どーぉして、また違うのぉ?」 水晶に映し出されているのは、1人の少女だった。森に迷い込んだのだろう、 先の道を見て、地面に座り込んでいる。異璃は、その水晶を覗き込んでいた。 「純粋な魂ね。いいわ、この子にしましょう。百人目の蓮華草」 無論、少女に異璃の呟きは聞こえなかった。今は、森から出るためだけに頭 を悩ませている。これが異璃の張った罠だとは、無限に続く道だとは、思いも しない。当たり前の話だが。 「えぇーっと、ここを右に曲がって……あれ? も1つ前だっけ?」 ……この少女なら、普通の森でも十分迷っていただろう。極度の方向音痴の ようだ。 ふと、少女は前を見、そこにいる異璃に気付いた。異璃は薄く微笑んでいる。 「あ、あの、あなたは一一?」 異璃の何色ともつかない、不思議な瞳に見つめられたせいか、恐る恐る尋ね る。 「私の名前? あなたが聞いているのは」 「えっ? ええ、そうですけど……」 思いもよらないことを聞かれ、驚いているようだ。いや、ここに人がいるこ と自体がもう、思いもよらないことなのだが。 「異璃、とでも呼んでもらいましょうか、パステル」 パステルと呼ばれた少女は、少しの違和感を覚えたようだが、勘違いと判断 した。そして、質問を続けた。 「イリ……さん? えっと、何故こんなとこにいるんですか?」 「私の家はこの森だから。そう、そういえば、家に来たお客様だもの、歓迎し なくてはならないわね。4つの花園を見せてあげましょう。魂の輝きが素晴ら しく綺麗だわ」 パステルには、異璃の言う事が半分くらいしか理解出来なかった。 家がこの森? お客様? 魂の輝き? 花が大好きなだけなのかな? でもとにかく、「綺麗な花園」に連れてってくれる、ということは分かった ので、それが見てみたくなったようだ。無言で歩いていった、異璃の後をつい て行く。少しの不安と多くの好奇心を胸に抱きながら一一。 「……どうせここにいても、することないしね。花園ってどんなだろう?」
2話一菖蒲一 曲がりくねった、道とも呼べない所を2人は歩いていた。周りには荊(イバ ラ)が生い茂り、背の高い木々達は何かを誘うように揺れ動く。その中を異璃 は迷うことなく進んでいた。 黒い髪を風に遊ばせながら。 「イリさん……まだなんですかぁ?」 後からついて行くパステルは、汗の玉を額に浮かべ、息も荒い。 「もうすぐよ。一一ほら、着いたわ」 異璃の言葉が終らないうちに、落ち葉が空を覆い、目の前には、紫と白の鮮 やかな絨毯が広がっていた。そして、一面に広がるそれが何かをパステルが理 解するのには少しの時を要した。 「……菖蒲…………」 はしばみ色の瞳は、長い間見開かれたまま、その天国のような景色に向けら れていた。……あまりの美しさに声も出なかった。 「魂の花園へようこそ」 異璃の声に、我に返る。異璃はいつの間にか、花園の中にいた。 ふいに吹いた強い風が、彼女の髪を煽った。そして、その風に菖蒲の花弁が 混ざる。髪は花弁と絡み合い、風は彼女を包んだ。 「First flower garden,iris.菖蒲の香に包まれて、 花霊(かれい)のshowを……」 「!?」 言葉が終らぬうちに、異璃の姿が風にかき消え、辺りには虹色にほのかに輝 く霧が立ち込めた。 「何? これ……!」 やがて霧は一点に集まり、人の形を創った。紫色の巻き毛は頭のうえでまと められ、それでも肩にかかるほどだ。そして、身には純白のドレスを纏ってい た。魅力的な姿のその人の瞳には、何かを訴えかけるような光が宿っている。 『菖蒲の花霊』だった。 ふわりとその体が風に乗る。花霊のshowが始まった。菖蒲の花霊の舞い が、少女パステルの目に映る。そして……。 菖蒲一一虹の女神の詩(うた)が風に流されて少女の元へ……。 壊したくなくて 壊れたくなくて このままの関係を 「不安じゃない」なんて言えない あなたといられなくなる ただそれだけの事が 1人きりだと寂しくて だけどあなたがいれば…… だけどあなたはいない 1人きりだと寂しくて 早く私を慰めて 早く私に会いに来て あなたに伝えたいのは たった1つのメッセージ 「愛してる」 ただそれだけの一一 それはあなただけのシークレットワード 「それは……」 それは私の心? パステルの中の心の声。 「菖蒲一一花言葉は『恋のメッセージ』よ、パステル」
一紫陽花・3一 「いかがだったかしら、菖蒲の花霊の舞いは」 「! イリさん」 いきなり背後から声がかかり、慌てて振り向くパステル。その視線の先には、 異璃がいた。いつの間に現われたのか……。 「すごく綺麗でした……。それに、あの詩(うた)は一一」 まさしく放心状態で答える。その答に満足したのか、異璃が少し、微笑んだ 一一ような気がした。 「では、次の花園へ行きましょうか」 そう言って、パステルの返事も待たずに歩き出す。 また2人は延々と続く道を歩いた。鳥のさえずりが聴こえる。樹の葉が、風 に揺れ、ささやき合うような音をたてる。木々や草花に見守られ、所々から漏 れてくる木漏れ日に微笑みかけられ歩いているうちに、パステルは自分が迷っ ていた事でさえも忘れてしまいそうだった。 やがて、ずっと先の方から、花の香りが漂ってくる。そして、木々の陰から、 淡く青い色彩が顔を出してきた。 「紫陽花だぁ……」 呆然と呟くぱすてる。さすがに2回目である分、菖蒲の時ほどではなかった が、それでもパステルは目の前の風景に見とれていた。季節によって、色の移 り行く紫陽花が、一面に青色の花を咲かせている。まるで、空でもあり、海で もあるようで一一……。 「second flower garden,hydrangea.壮大な る命の糧よ、ここに……」 異璃の言葉に空気は揺れ、そしてそれに誘われるように、1人の女性が姿を 現した。青い瞳に青い髪。ただこれは、季節によって色が変わるのではないだ ろうか。 紫陽花の、花霊。彼女は空を舞った。空と同色の髪は、まるで一体化したよ うに、空に溶け込む。紫陽花の花霊は、儚げと言うよりはむしろ、すべてを包 み込むような、そんな感じだった。 すべては鎖に繋がれた 紫陽花の花霊の歌声が響く。 決して変えられぬもの どんなに鋭いナイフでも 傷さえつけられぬ鎖 時には命を消した 時には心を生んだ 幾千もの時を繋ぐ 重く長い鎖の上で 涙と笑みが入り混じる 命を消されし者は 新たな命を創り 鎖の上に血を落とした 運命という名の鎖の上に いつの間にか、パステルの頬に冷たいものが流れていた。 「お母さん、お父さん一一」 ・運命・だったのだろうかと。あまりにも酷すぎる。でも誰のせいでもない。 変えられない、変えてはいけないものだったのだろうかと……。 「紫陽花の一一命を司る花霊よ」
一薔薇・4一 しばらくした後、パステルは涙を拭いた。 「イリさん、次の花園、見せてください」 「わかったわ、行きましょう」 異璃は無表情で答えると、先の道を行く。 なんて不思議な歩き方をする人だろう。パステルは思った。足の下には草があり、 その上を歩いて行っているはずなのに、足音がしない。パステルが歩く時には確か にするのに。 ふと上を見上げると、真っ青な空が、樹々の緑で彩られていた。日はもうずいぶ ん傾いていて、2つの色に紅を添える。夏だというのに、肌寒くなっていた。今宵 は星が見えるだろうか。 「そろそろ着くわよ」 どれくらいそうやって空を眺めながら歩いてきたのか。ふと、異璃から声がかかっ た。パステルが視線を前に移すと、ちらちらと顔を覗かせ始めた、花園が目に付く。 色は純白。 「う……わぁ、白薔薇だ……」 一面が白く、鮮やかに咲き誇っていた。 「third flower gerden,rose.純粋とする心のままに詩 となれ……」 花弁が流れる。波のように。ゆっくりと。百輪の薔薇が、華麗を紡ぎ出す。 流れるようなシルバーブロンドに、同色の瞳。無心に舞う、薔薇の花霊の姿に、 パステルはいつの間にか1人の少女を思い出していた。 「ルーミィ……」 白き心 そこには何もなく そこには何よりも 大切なものがある 人を想えば紅に染まり 喜びを感じては 青に染まる その心には 何の絵の具を落とそう 何色にも染まり すべてを受け入れる それでも1つだけは 闇だけはその白に 鮮やかに隠される 光のように澄みきった 純粋なる心には 彼女の微笑みを。言葉を。すべてをパステルは頭に思い描いた。1人でいる間も、 ずっと1番心配だった小さな女の子。自分がいなくて泣いてないだろうか。 「白薔薇一一心を司る花霊」 少女は花霊の詩に、大切な人達を想った。
一蓮華・5一 無言で薔薇の花園を出ると、また2人は緑と茶の道をあるいて行った。 灯りも何もない自然の道はすでに薄暗くなり、枝葉の間から、真っ赤な光だけが パステルの影を伸ばす。もう今は夕暮れ時。パステルが迷ってから半日は経ってい た。優しい光を森に広げているこの夕日も、あと5分もすれば姿が見えなくなるだ ろう。少しだけ、下のほうが欠けている。 (ポタカンもってるべきだったかなぁ) 幻想的な大森林の中で、何とも現実的な事を考えながら歩いているうちに、夕日は どんどん沈んでゆく。空は紫色に染まり、そこに1枚の絵を創り出しているようだ。 あと半分。夕日が日の入りまでの秒読みをしている。ふと異璃を見ると、真っ黒な 髪が、紅の色に素晴しく映えていた。 ……もう夕日は申し訳程度にしか顔を覗かせていない。遠くの山々の間に、吸い 込まれるよう。 そして一瞬、パステルは瞬きをした。本当に一瞬。ただそれだけ。しかし、ただ それだけの間に辺りは闇に包まれた。足元さえも見えない。後は、名残を残すよう に西の空が淡い紫色に輝いている。 「着いたわよ、パステル」 突然異璃に声を掛けられ、風景に見とれていたパステルが慌てて前を見ると、闇 の中に真っ白な花園が浮かんでいた。薔薇の花園も同じ色だったが、なんとなく感 じる雰囲気が違う。薔薇が清き白だったのに対し、こっちは優しい感じの色だ。 「これ……蓮華草?」 小さな花々が一面を白く染めているのに見とれながら、パステルがつぶやく。 そして一一空から蓮華の花弁が舞い降りてきた。前の少女の時のように。パステ ルの体をふわりと何かが包み込む。 「え?」 いきなりの事に驚いて、パステルが声を上げた。一瞬の後、パステルは蓮華にな るはずだ。何の疑いもなく、異璃はそう思っていた。……しかし、それ以上の変化 は何も起こらなかった。パステルは蓮華にはならなかった。 「!?」 初めてではないだろうか、異璃の顔に、はっきりと表情が映る。それは困惑。 「あ、あの、イリさん……?」 パステルの声に、異璃は我に返った。と、同時にこの事態の理由も理解したよう だ。 「まさかとは思ったけれど……なるほど、ね」 異璃はひとり、つぶやいたが、パステルにとっては、いきなり目の前で一人で何 か納得されたって、全然自分にはわからない。それに、蓮華にはならなかったが、 このままでは身動きがとれなかったので、とりあえず助けを求めることにした。 「あの〜、イリさん、助けてくれませんか?」 「嫌」 簡潔といえば簡潔すぎる答えに、パステルはしばらく絶句した。当然、無理だと か、ちょっと待ってだとか、そういう答えが返ってくるものだと思っていたのだ。 当り前だ。パステルは、異璃が仕組んだことだとなど、全く思っていないのだから。 「え、あの、嫌って……」 「私だってレアロナを助けるほど馬鹿じゃないわ」 「レアロナ……?」 少し、眉をひそめる。何のことやら全然わからない。どこかの本でそういう名前 を見たような気はするが……。しかし異璃は問いには答えずに、何やらつぶやいた 後、ふっと消えた。 「え、ええっ、イリさんっ!? ……どっ、どうしよぉ……」 独り取り残されたパステルは、なすすべもなく座り込んだ。不思議な何かに包ま れたまま。
―蓮華・6― 「おーい、パステルーっ!?」 「いたら返事しろーっ!」 「ぱぁーるぅ、どこらぁーっ!?」 「パステルおねーしゃん、返事してくださいデシーっ!」 「パステルーっ!」 「パステル、どこですかぁーーっ!?」 異璃の水晶の中で、6人と1匹……いや違った、5人と1匹の声が響き渡る。時は 真夜中。空を月と星が支配する時刻。 いつもならすでに眠りの中にいる時に、彼らは必死で1人の少女を探していた。 最初は分担して探そうと言っていたのだが、また誰かいなくなっては大変だという ことで、みんなでかたまって探すことにしたのだ。だが、なかなか見つからない。 そろそろ声もかれてきている。まあ、異璃からすると、見つからないのは当り前な のだが。 「あの子達がレアロナの仲間ね。そう……あのエルフの子あたりがいいかしら」 異璃は、パステルの「代わり」を決めて、その必死で叫んでいる小さな子供を見つ めた。純粋な魂。最後の1つの花にうってつけの。 「そろそろ蓮華の花園の近くに行く頃ね。レアロナにはあそこでじっと、囮役を務 めてもらいましょうか」 異璃がそうつぶやき、目を閉じると、異璃の姿は、一陣の風にふっとかき消された。 「いないな……。一度少し休もうか?」 クレイがみんなに問いかける。表情は、暗い。不安とやるせなさが混じったような 表情……。 「あっそ。休むんなら休んどけよ。俺はもう少し探しとくからさ」 「だ、だめですよ、トラップ。さっき、みんなでかたまって行動しようって言った ばかりじゃないですか!」 言い捨てて、1人で行きかけたトラップに、キットンが慌てて声をかける。 「あのな、キットン。おれが迷うとでも思ってるわけ? パステルが迷うってのは いつもだけどよ、今までにおれが迷った事があるか?」 顔だけくるっと振り返って、キットンに呆れた声をかける。 「トラップ。普通の森なら、迷わないだろう。でも、ここは、何か、違う。鳥達が、 いない。変だ」 だが、ノルにまで言われて、さすがのトラップも戻ってきた。顔はまだ納得してな い様子だったが。 「だったら、さっさと行こうぜ。あいつの事だから、どっかで転んで気絶してるか もしんねーぞ」 「でも、ルーミィの事も考えて……」 「ぱぁーるぅのこえ……」 せかすトラップにクレイが反論しようとした時、当のルーミィがつぶやいた。 「……はっ?」 「ぱぁーるぅのこえがするおう。ぱぁーるぅがさけんでるおう」 じっと森の奥を見つめている。そして、何かに誘われるようにふらふらとそっちへ 歩いていった。 「あっ、おいルーミィ?」 「ぼーっとすんな、クレイ! 着いてくぞ!」 「いらっしゃい、ルーミィちゃん。魂の花園へ――」
―蓮華・7― 「クレイ、トラップ、ルーミィ、キットン、ノル、シロちゃぁーーんっ!!」 パステルは、みんなの名前を精一杯叫んだ。 はぁ、はぁ、はぁ…… さっきから、どれだけの時間叫び続けているのだろう。もう声はガラガラに枯れ ている。それでも、パステルは叫び続けていた。少しでも、不安を埋めるために。 溢れそうになる涙を留めるために。 不安。独りになった不安が、波となって押し寄せてくる。 異璃といていた時は、忘れられた。涙を流しもしたけれど、心の天気はただのく もりだった。穏やかな波が、寄せては引いていた。でも、今はまるで、台風と雷が 一気に押し寄せてきたよう。必死で何かをしていないと、闇の中に引きずり込まれ そうだった。 (イリさん……どこ行ったんだろう……?) パステルはまだ、異璃を信じていた。不思議な人だったけれど、でも……。 『……レアロナ、私が、見えますか?』 パステルが思いを巡らせようとした時、聞き覚えのない声がパステルの耳に聞こえ た。驚いて前を見ると、そこには、美しい白の髪を肩に垂らした女の人が浮いてい た。一瞬の間の後、パステルは、声を発したのはその人だと理解する。 『私は、蓮華の花霊です。貴方に希望を託すため、参りました』 「希望……?」 わけが分からない。身動きさえとれない自分に、何を託そうと言うのか。 『ええ。私の……いえ、私達の話を聞いていただけますか?』 どうやら、複雑な事があるらしい。それだけは、パステルにも分かった。 けれど話を聞く前に、質問したい事がパステルにはいっぱいある。 「あの、その前に、いろいろ訊ねさせてもらえませんか?」 パステルが、おずおずと口を開く。何しろ、話だの希望だのと言われても、肝心の 彼女は全然分かっていないのだから。 そんなパステルに、蓮華の花霊が優しく微笑む。どうぞ、とでも言うように。 パステルは、その微笑みに安心して、疑問を思うままにぶつけた。 「まず、レアロナって何の事ですか? イリさんも同じようにわたしを呼んでたん ですけど……。あと、この、わたしを包んでるものは何なんですか? それと…… クレイ達は、わたしの仲間はどこにいるか、わかりますか?」 一気に3つ質問をする。他にも、異璃は何者なのだとか、ここを含めた4つの花園 は何なのかとか、いろいろ聞きたい事はあった。でも、いくらなんでもそんなに一 度に聞くわけにはいかない。 『まず、・レアロナ・の事ですね。少し分かり難い説明になると思うのですが……』
1998年7月24日(金)18時58分06秒〜1999年4月28日(水)17時36分17秒投稿の、蒼零来夢さんの長編です。これ以降は、ここでの掲載が初めてになる予定です。