<六十一>─アンダーソン邸襲撃事件19『希望の光と絶望の影』─
「お目付役の騎士をつけられた王女様。
それでも、外に出ることをやめなくて、そのたびにその騎士に見つかって。
そんなコトを繰り返しているウチにね。
やっぱりっていうかなんていうか。誘拐されちゃったの」
おとぎ話だと言っていた。
けれど、それはウソだ、とクレイは思った。
これは、Q自身の話だ。
理由も根拠もない。
それでも、クレイはそう思う。
「最初それを知ったのは王女の召使いから位上げされた護衛の男の子と、お目付役だった騎士の二人。その二人で、私を助けに来たのよ」
本棚の影で耳を傾けながら、クレイはシロに耳打ちをする。
それを聞いたシロは、急いでどこかに去っていった。
「結果、誘拐グループの全員が死亡。王女も無事に救出されたわ。
その時・・・いや、その前からでしょうね。彼女は騎士を好きになった」
その騎士をクレイは知っている。
とても明るく、とても優しい人だった。
セシミィーラと遊んでいると、いつもその人も一緒に遊んだ。
十二という年の差と関係なく。
「少し後、町へ出て追いかけてくる彼を、デートに誘ったわ。
けど、やっぱり彼は相手にしてくれません。当然よね。身分の違いも決定的だというのに、年まで十二も離れていたんだから」
おとぎ話の語り口だったそれが、少しずつ昔語りに変わっていく。
近づいてきた足音を敏感に察したクレイは、素早くその場から立ち去る。
「そのうち、許嫁が決まったの。王女様の意志とは関係なしに。
ずっと考えたわ。考えた末に・・・殺したの」
言葉と同時に鞭が飛んでくる。
頬をかすめたそれを認めた後、クレイは走り出す。
「自分の父親、つまりその国の王様を、ね。ナイフで心臓を一突き。
あらかじめ自分の護衛の男の子と打ち合わせをしておいてね。
逃げたわ。乞食に化けて、男装もして。
あらかじめ落ち合う予定だった騎士の人をアテに。
けれど、その人は来なかった。
落ち合うハズだったそこに、手紙があったのよ。
『君が好きだった。君を愛していた。ただ、それだけでよかった』
これだけしかその手紙には書かれていなかったのよ」
自分の幸せのために人を殺す。
それは果たして、幸せなのだろうか?
「あなたの気持ちなんてどうでもよかった。
ただ、あなたがそばにいればそれでよかったのに・・・」
とても切ない声。
その言葉が終わった後、クレイはQの前に立ちはだかる。
「元王女様はそう思いました。おしまい」
「随分と、自分勝手なんですね、その王女様」
にらみつけながらクレイは言う。
「優しいあなたにしては、随分と厳しい意見ね」
笑うQ。
「そう、私は自分勝手よ。好きなモノは欲しいし、嫌いなモノはいらない。
それをなんの躊躇もなく実行できるのよ。もっとも残酷な方法で」
自分であるコトを認めている。
悪びれている様子はない。元々そのつもりで話したのだから。
「どうして、そんな話を?」
「気分よ。ただなんとなく」
クレイは剣を構える。
鞘に納めたままの剣を。
「どういうつもりかしら?」
「人は殺したくありません」
「殺さないつもりで、私に勝てるつもり?
あの時の痛みから、私は肉体的痛みを一切感じないの」
精神的無痛症。
肉体は痛みを感じているハズなのに、精神がそれを拒む。
先天的なモノと違う、後天的なモノ。
「それでも、オレは勝ちます」
人体急所をつけば、痛みを感じようが感じまいが、気絶する。
その望みと、一つの罠に、彼は全てをかける。
「じゃあ、オレとAは中に入ってるから。おまえらは外で待ってろ」
『ハイ!』
返事をする男達。
満足そうに頷いたソードは、A見る。
「じゃっ、行くか」
「あぁ」
両手をコートのポケットに入れ、歩き出すA。
やはり、その足は不自由そうである。
にも関わらず。
「私は・・・」
「ここに残ってろ。十分働いただろ、おまえは」
頭をなでるソード。
ランスは渋々引き下がった。
「またねぇか・・・」
立ち上がるトラップ。
顔についている青あざ、全身のスリ傷、服についている砂を払うこともなく、Aに向かって歩き出す。
「まだ、オレはやれる!!」
右の拳がAの顔に走る。
そう思われた瞬間、トラップが倒れた。
「大人しく眠っておけばいいものを」
出した右手をポケットに入れ直すA。
「おい、急ぐぞ」
「あぁ」
再び歩き出すA。
トラップを見下ろすこともなく、彼らはアンダーソン邸に入っていく。
<六十二>─アンダーソン邸襲撃事件20『カウントダウン』─
「・・・どうした? 二人して」
「遊びに来たように見えるのか?」
床に突き刺さっている斧。
壁に寄りかかり座っているアクス。
彼の前に、Aとソードが現れた。
「A一人だったらそうは言わねぇけどな。
ソードと一緒だから、そうなんじゃねぇのか?」
「なんだぁ? その物言いは」
ソードが屈み、アクスをのぞき込む。
「助けに来たに決まってるだろ。なに言ってやがるんだ」
「そりゃあ、どうしてだ?」
「カンだよ、カン」
笑いをかわすソードとアクス。
「それでおまえは? なにをしているんだ」
立ったまま、無表情を顔に浮かべているAが口を開く。
「負けたよ」
少し表情の動く二人。
驚いているようであり、喜んでいるようでもある。
「へぇ・・・相手は?」
「おそらく、あの身元不明だった総司って男だ」
「アダーガを殺したのもその男だったな」
好戦的に微笑むソード。
この男は、アクスが負けたことが嬉しいのではなく、アクスを負かす相手がいることが嬉しいのだろう。
「その男、どっちに行った?」
「あっちだ」
廊下の奥を指さすアクス。
立ち上がったソードは、剣の位置を確かめた。
「おまえは休んでろ」
「言われなくともそうする」
手をヒラヒラと振るアクス。
「最後に、一つ質問」
去りかけた二人。
ソードが口を開いた。
「そいつとオレ、どっちが強い?」
ためらわずにアクスは口を開く。
「おまえが負けるところなんざ、予想つかねぇよ」
満足げに笑顔を浮かべた後、ソードはまた口を開く。
「じゃあ、Aとそいつでは?」
「Aが負けることはない。てめぇもよく知ってるだろうが」
今度もためらいのないアクスの口調。
「それを聞いて安心した」
今度こそ歩き去る二人。
その後ろ姿を見送った後、アクスが口を開いた。
「あいつが負けるところも、予想つかねぇけどな」
彼の目の中に、自分と戦った男の姿が映っている。
「さすがに、少しきつい、かな?」
立ち上がりながら、ハートの10は呟いた。
自分の攻撃が決まった、あの瞬間。
ライルは最後の一撃と言わんばかりに、左拳をみぞおちにぶちかましてきた。
おそらく五分ほど気絶していた。
しかし、人体急所を一気に三度突く三牙のダメージが多いのだろう。
ライルは立ち上がれないでいる。
「よう」
振り向くハートの10。
彼の目線の上に『黒』がいる。
「あぁ、あなたか・・・」
「こっちは終わらせたぜ」
見ると、彼は肩に人をかついでいる。
「アンダーソン騎士団長、捕らえたんですね」
「あぁ、あいつがくれた道具のおかげだよ」
『黒』が使用したひも付きナイフ。
それのコトを指しているのだろう。
「さすがは『黒の死神』だ。与えられた任務はちゃんとこなしますね」
「その呼び名はよしてくれよ。元セシミィーラ第二王妃護衛兵士ネリウス」
意味ありげに視線をかわす二人。
「後は」
「あぁ」
頷き合う二人。
「Qの任務が終われば、この作戦は成功です」
ちょうどその頃。
襲撃側が騎士団を縛り付けている中に。
一人の少女が現れた。
アンダーソン邸襲撃事件集結まで
後、二十一分
<六十三>─アンダーソン邸襲撃事件21『敗北と出会い』─
「少し喋りすぎたようね」
Qが鞭をふるう。
「そろそろ終わる頃でしょうし。こちらも決着をつけましょうか?」
余裕のQの口調。
クレイは何も言わず、剣を握りしめている。
「いくわよ」
一瞬クレイは目を疑った。
鞭が二本に見えたのは、目の錯覚だろうか?
「くっ!」
一歩引くクレイ。
続けてもう一撃、追い打ちをかけるように鞭が飛んでくる。
ひゅっひゅっ
今度は三本。
右手に握っているのは、たしかに一本の鞭だ。
二又や三又に別れているワケでもない。
目の錯覚でもない、事実、見える分だけの打撃が来るのだ。
─原理は、わかっている─
微妙な力加減で鞭の途中を曲げ、そこと、鞭の先端で同時に打つ。
二又になるも、三又になるも、Qの思うがままだろう。
しかも、一つ一つの威力が鞭とは思えぬ重さがある。
─けれど、まだだ─
まだ耐えなければならない。
前に出れば、Qが後ろに退いてしまう可能性がある。
だから、このまま一歩も退かずに待たなければならない。
自然と、Qが前に出てくるのを促すために。
「これで終わりよ!」
Qが大きく鞭を振った、その時。
「うわぁぁっ!!」
急に前に出るクレイ。
よんでいたかのように後ろに下がるQ。
まさに、その瞬間。
Qの後ろの方から、シロが飛んだ。
─よし─
決まった。
Qはきづいていない。
後は、この剣がQの喉元を突けば・・・。
「えっ!?」
Qの鞭が後ろに飛ぶ。
次の瞬間、それはクレイの腕に巻き付き、シドの剣をかすめ盗る。
「残念。同じ手をそう何度もくわないわよ」
言い終えると同時に、ためらいもなく出される鞭の連撃。
「大人しく眠っていないさい。シーモア」
地面に伏すクレイ。
Qは後ろに転がっているシロを認めた後、ゆっくりと歩き出した。
彼女が求める「モノ」を取るために。
「まいったなぁ・・・」
迷路のような屋敷の中。
十字路、T字路を曲がる度につけている印。
しかし、同じ印にしたのがまずかった。
「せめて、数字にしておくべきだったかなぁ」
ぼやく総司。
彼のあずかり知らぬどころで、事態はどんどん進んでいっている。
「とりあえず、ここから数字をつけ直すか」
壁に数字を刻む総司。
クレイの家というコトは、無論覚えていない。
「さて、と」
歩き出す総司。
ふと、彼は立ち止まった。
「ん?」
彼が今、曲がった廊下の奥から。
二人の男が歩いてくる。
アンダーソン邸襲撃事件集結まで
後、十九分
<六十四>─アンダーソン邸襲撃事件22『異変』─
「おっ?」
「んっ?」
訝しそうに目を細める総司。
同じようにのぞき込む男。
白いコートに金髪、それにけっこう長身である。
そのコートから見え隠れする剣を、総司は見逃さなかった。
さらに、彼の後ろにも一人。
黒いコートに黒髪、白いコートの男より少し高い身長。
こちらはコートの前をきっちり閉めているため、剣の有無はわからない。
─味方、じゃないみたいだなぁ─
合い印なのかどうかはしらないが、自分が助けている騎士団は、全員同じ格好をしている。
同じ鎧、同じ剣。
隊長クラスの人間は、少し別のこだわりを持っているようだが。
そう考えてるうちに、自然と距離が詰まっていく。
「こんにちは」
「ど〜も」
挨拶をする総司、こたえる男。
お互い、相手の出方をうかがっている。
「どちらに行かれるんですか?」
「ちょっと、捜し物」
微妙な二人の間隔。
お互い、自分の得物に手をかける素振りすら見せない。
「何をですか?」
「いや、捜し人、かな」
「こんなところですか?」
「ここにいるからなぁ」
頷く総司。
「総司って男なんだけど・・・知ってる?」
頭をかきながら金髪の男。
後ろの黒髪の男は、微動だにしない。
「知ってる?」
「私のコトですか」
半分笑いながら総司は言う。
残りの半分がなんなのか、自分にもわからない。
「どうやら・・・」
「そうらしいな」
二人の男が確かめあった、刹那。
キイィィィィィィィィンッ
「危ないなぁ・・・」
総司が金髪の男、スペードのソードの剣を止める。
スペードのソードの変形した抜刀術を。
先程、庭の方でソードが使った技と同じだ。
相手の左側を通過する途中、左にさしている剣を左手で抜き、剣の切っ先だけを鞘の中に残し、腰を回転を利用してそのまま斬る。
剣をさしたままの抜刀術の場合、自然、目線は抜くハズの右手に集中する。
事実、それを見ていた騎士達も、右手が動いてないことをずっと見ていた。
微かに動いた左手には目もくれず。
その剣客の心理を逆手に取った攻撃。
どんな達人でも、一瞬の隙が出来る。
さらに、相手の左側に移動する速さ、そこからの抜刀、そして腰の回転を鋭くする左足の踏み込み、的確に脇腹を裂く剣。
その一瞬をつくには、十分すぎるほどである。
たとえ読んでいたとしても、総司のように止めるだけで精一杯だろう。
総司が、それをよんでいたかどうかはわからないが。
「間違いないらしい」
「なにがですか?」
「アダーガ、それにアクスをやったのは、おまえか?」
ふと考える総司。
たしか、そういう名前だったハズだ。
「えぇ」
「アダーガとは闇の中で戦ったんだよな」
ソードは剣をおさめる。
「オレでさえ、闇の中ではあいつに勝てねぇのにな」
二人の間の時間が止まる。
まるで誰もいないようなその空間。
二人の男がにらみ合っている、ただそれだけのことだ。
空気が振動することをやめ、この二人を見守っている。
そこに、声の振動が生まれた。
「ソード」
「A、邪魔するなよ。こいつはオレの獲物だ」
まったく表情を変えないA。
「手を出すつもりはない。オレは先に行く」
「そうしてくれ」
歩き出すA。
不自由な左足を引きずり、それでも難なく総司の横を通過する。
彼が手を出さなかったのは、対峙するソードを警戒してか、それとも、Aの実力をはかりかね、手を出さなかったのか。
「少し、楽しもうか」
「そんな時間はありませんけど」
しょうがないか。
半ば諦めつつ、総司は刀を抜いた。
「ソードにQ、それにAが中にいるんだ。大丈夫だろう」
「ジョーカーもハートの10もいるしな」
「あぁ、後はKの元に今回の成果を持ち帰るだけだぜ」
自分たちを縛り上げていたロープを利用し、騎士団を次々に縛りつけていった襲撃側の男たち。
その作業を終え、幹部達の帰りを今か今かと待ちこがれている。
「おい!」
「なんだ?」
「死んだヤツらも、連れて帰ってやろうぜ」
と、一人の男が言う。
「あぁ・・・」
「そうだな・・・」
急に厳かな空気になる。
そして、男達が動き始めた、その時。
「おい!」
「子供がいるぞ!」
すぐにその辺一帯に人が溜まっていく。
「んだ?」
「すぐに追い出せよ」
「危ねぇなぁ」
そして、また誰かが呟く。
「あれ?」
「なんか、人数減ってないか?」
騎士団の人数が足りない。
それに気付き、二人の男が数え始める。
「・・・やっぱりいねぇ。五人足りねぇみてぇだ」
「・・・おい、また減ってないか?」
何度も人数を数え直す男たち。
「なんでだよ・・・」
「おかしいぞ、おい」
この広い庭。
そんなに多くの人数が逃げるのなら、後ろ姿くらい見えるはずだ。
「ちょっと待てよ」
「どうなってるんだよ?」
彼らの頭の中に、一つの風景が浮かんだ。
自分たちの郷里、一番楽しかった時間、友と過ごした日々。
「今は、それどころじゃねぇ」
自分の考えを振りほどく男たち。
「どうなってんだよ!!」
誰かが叫んだ。
彼らは気付いていない。
少女が消えていることに。
アンダーソン邸襲撃事件終結まで
後、十四分
<六十五>─アンダーソン邸襲撃事件23『過去』─
手に一つの大きな本。
鞭はコートの中にしまってある。
その一ページ一ページをめくりながら、何かを夢中に探している。
「・・・これね。本物だわ」
あるページのある部分を確認して、Qは本を閉じた。
片手にそれを抱えて、Qはきびすを返す。
一度、クレイとシロを見下ろした後、Qは振り返りもせずに出口に向かう。
再び立たないことを確認しただけのようだ。
「『黒』は、もう任務を終えているでしょうね」
呟いた後に、少し速くなる歩調。
少し時間をかけすぎた、と思ったからだ。
クレイと喋りすぎたためか、それとも、単に彼に手間取っただけか。
どちらにせよ、時間を食いすぎたことは否めない。
─これで、よかったのよ─
何度自分に言い聞かせたコトだろう。
彼が、もう来ないのだとわかってからの自分。
ネリウスと共に各地を流浪。
強くなりたい。ただそれだけのための修行。
A、ソード、アダーガとの出会い。
それと、初代のKと出会い、組織を結成。
その組織に幹部として就任。
強いだけではダメだ、とネリウスを教師に兵法を学ぶ。
ランス、アクスの加入。
最初のロンザ国国家図書館の襲撃。
そして、今のKに代替わり。
さらに『黒』の加入。
そして、今回のこの襲撃だ。
そのたびに、こう言い聞かせてきたのだ。
これでいいのだ、と。
「・・・えっ?」
突然目の前に浮かんでくるなにか。
何度も城を抜け出してみた町の風景。
貴族の子供たちと共に遊んでいた日々。
そして、あの人の笑顔。
忘れていたハズの今までの思い出が。
次々と浮かんでくる。
「どうして・・・?」
頭を強く振る。
けれど、体全身でそれを見ているような感覚。
その映像が、少しずつリアルになってくる。
─逢いたい、あの人に─
大きな音。
床に本が転がり、それを拾う手もない。
あの桜を血で染めたようなコートが、どこにも見あたらないその廊下。
「えっ?」
「なっ?」
同時に頭を抱える二人。
総司は刀を床に突き立て、ソードは片膝をつく。
─なんだ?─
必死に視界を凝らそうとする総司。
そうすればするほど、ぼやけていく視界。
そうしなければ、もっと早くこんな風になっていたのかもしれない。
目の前に広がっていく風景。
─なんで?─
聞こえてくる気合と怒声。
我関せずと子供と遊ぶ自分。
しばらくして消える怒声。
それに気付くといつも、自分は物陰に隠れる。
その後すぐに来る人影。
自分はそれを笑いながら見ているのだ。
─自分が一番好きだった時間─
このまま、帰りたい・・・。
そう思った時、あの人が叫んだ。
『だめだ!!』
二つの叫び声。
同時に叫んだソードと総司。
悪夢から覚めたように、全身冷や汗をかいている。
頬をつたう一滴を同時に拭った。
「どうした? 勝手にきつそうじゃねぇか」
「そっちこそ。汗、すごくかいてますよ」
─なんだったんだろう? さっきのは─
急に思い出した遠い思い出。
二度とあの時には戻れないと、既に知っていたのに。
一瞬、傾いてしまった自分。
けれどあの人が叫んでくれたのだ。
バカ野郎、って。
「なぁ・・・」
「なんですか?」
「やめにしないか? やる気がなくなった」
自嘲気味にソード。
「そうですね・・・」
座り込む総司。
「オレは、愛しのQでも迎えに行くか」
振り返り、総司とは逆の方向に歩き出すソード。
しばらくして、総司は思い出したように立ち上がった。
また、叫ばれたのだ。
のんびりしてるんじゃねぇ、と。
アンダーソン邸襲撃事件終結まで
後、九分
<六十六>─アンダーソン邸襲撃事件24『螺旋』─
「タスケテ・・・」
呟く少女。
虚無の言葉。
決して誰にも届かない。
そんなコトに彼女は気付いていない。
「タスケテ・・・」
その言葉に答える人間はいない。
全ては風の中にとけ込んでいく。
風に運ばれない言葉。
誰にも届かない。
「オネガイ・・・」
彼女のまわりの全てが歪んでいく。
彼女には聞こえない。
彼女のまわりで、助けを求める声が響いていることに。
身勝手なほどに。
「タスケテ・・・」
彼女は呟く。
その言葉が、届いた。
「・・・なっ?」
起きあがったノルは目の前に広がる光景を疑った。
先程までとは明らかに違う風景。
人数が極端に減っているのだ。
一人や二人などではない。
騎士、襲撃側の人数をあわせて、およそ三十以上。
それだけの人間が、明らかに消えている。
「なにが・・・」
立ち上がるノル。
何人もの人間が、彼を見て身を震わせる。
人が消えていく現象を目の当たりにしたばかりなのだ。
無理はない。
「・・・トラップ!」
不意に思い出したノル。
「いるって」
彼の横から声がかかる。
少し驚いたノルは、しかし、すぐに冷静になる。
「いったい、なにが・・・」
「そりゃあ、オレにもわからねぇ。
わからねぇ、が」
トラップが意味ありげに言葉をきる。
ふと、ノルは彼の目線を追った。
「あれは・・・リーゼントのヤツは知らねぇが。
他の二人は、グランにディメン、だよなぁ」
「・・・ん?」
目覚めたクレイ。
ひんやりと冷たい頬。
手に力を込めて、上体を持ち上げる。
「えっと・・・」
この状況で寝ぼけているクレイ。
彼らしいといえば、彼らしいのだろうが。
状況を考えろ! と誰かが叫びそうだ。
「・・・そうだ!!」
急に立ち上がるクレイ。
床に落ちているシドの剣を拾い上げた後、彼は走り出す。
「クソッ!!」
結局、何の役にも立てていない自分。
なんてバカなコトをしているんだろう。
自分は・・・。
「・・・!?」
彼の視界に一人の男が入ってくる。
黒髪に、黒いコートを羽織った男が、本を手にしている。
「・・・クレイ・S・アンダーソンだな?」
─敵だ!─
瞬時に判断したクレイ。
彼は剣を抜き、男に襲いかかる。
焦ったクレイ。
もう、先に進むことしか考えていない。
「はぁっ!」
振り下ろされる剣。
かすむAの右腕。
次の瞬間─その廊下からクレイが消えた。
アンダーソン邸襲撃事件終結まで
後、七分
<六十七>─アンダーソン邸襲撃事件25『生と死』─
「どうしようか・・・」
黒い手袋が頭をさわる。
少しかいた後、彼は手を下ろす。
「仕方がない、か」
溜息をついた後、グランは歩き出す。
手袋にかかる左手。
「やれやれだ・・・」
黒い手袋があごをさわる。
少しなでた後、彼は手を下ろす。
「仕方がねぇな」
溜息をついたあと、Kは歩き出す。
手袋にかかる右手。
暗闇の回廊。
彼らの歩む先で、それは光へと変わっていく。
真っ白の世界。
やがてぼやけていた映像が少しずつ鮮明になっていく。
広々とした庭、遠くに見える山。
そこが、アンダーソン邸の庭だと。
彼らは、確認する。
「ディメンは、っと」
キョロキョロとあたりを見回すグラン。
戦場と化したそこに、場違いなほどに。
「原因は、どこだ?」
迷うことなく、目業を目指すK。
戦場と化したそこに、とけ込んでいる。
「あっ、いたいた」
「あれ、か」
『あっ』
同時に声を上げる二人。
しばらく見つめ合った後、二人同時に溜息をつく。
「お久しぶりです」
「この前あったばっかりじゃねぇか」
視線を地面に落とすK。
グランは、ディメンをのぞき込む。
ディメンの表情を観察しているようだ。
「・・・放心状態に入ってる」
「自己制御はできないのか?」
「とーぜんでしょ」
立ち上がるグラン。
「知っていたんだろ? 最初から」
「そりゃあ、始め会ったときからそうだとは思ってましたけど・・・。
こんなに覚醒が早いとは、さすがに気付きませんでした」
「まぁ、前のことをとやかく言っても仕方ねぇ」
Kはグランの肩を叩く。
「とりあえず、やるぞ」
「・・・共同作業ですか?」
あからさまにイヤな顔のグラン。
「そう言うな。こっちの方が遙かに楽なんだ」
いいながら、Kは目に指をやる。
カラーコンタクトが外され、露わになる黄金色の瞳。
グランとディメンと同じ、満月のような明るい色の瞳。
「まぁ、そりゃそうですけど、ね」
いいながら、グランは左手を手袋にかける。
同じように、Kも右手を手袋にかける。
同時にとられる手袋。
『グランの名において詠わん』
大らかに、高らかに響く声。
二人が同時に声を上げた。
『此処に「生」まれし空間の歪みよ。汝はこの世にあらざる存在』
グラン一人の詠い。
それは、その空間全てに響きわたる。
『我は汝に「死」を与えよう。汝今、ここを去らん』
Kが詠う。
彼が詠い終えると同時に、その空間から「何か」が消えた。
「なんとかなりましたね」
「そうだな」
グランは気絶したディメンを抱える。
「そいつはどうする?」
「しばらくはボクの監視下、ですね」
おぶいなおした後、グランはKを見る。
「あなたは、どうします?」
「オレは・・・とりあえず仲間を呼ぶ」
再び、Kは詠う。
『グランの名において詠わん。ここに集いし者たちよ。我の知る「死」を知らぬ者たちよ。今、我の元に集い賜え』
Kのまわりの空間が一瞬歪んだ。
それが実体化する前に、グランが詠う。
『グランの名において詠わん。ここに集いし者たちよ。我の知る「生」きる喜びを知る者たちよ。今、我の元に集い賜え』
グランのまわりにも、同じ現象が起きる。
そして、彼らが対面する。
「あれっ?」
窓から外を見る総司。
よく目を細めた後、確信したように呟く。
「あれ、トラップさんたちだ」
いいながら、総司は走り出した。
なぜか、彼らの元にいかなければならない気がしたからだ。
アンダーソン邸襲撃事件終結まで
後、四分
<六十八>─アンダーソン邸襲撃事件26『終結』─
「あれっ?」
「ん?」
「・・・えっ?」
「んだ?」
「・・・」
「あっ・・・」
さまざまな反応。
自分たちに起きた事態を理解している者、理解していない者。
「K(キング)じゃねぇか。どうした?」
別段驚いた様子を見せないソード。
「誰もいなくなってヒマだったんでな。遊びに来た」
「ウソは言わない方がいいですよ」
と、グラン。
ディメンをおぶいなおしてから、トラップたちを振り向く。
「・・・クレイさんがいませんね」
「Qがいない・・・」
A(エース)が人数を確認した後に言う。
「ホントだ」
ハートの10が呟く。
「ここにいないか・・・あるいは気絶しているか、か」
「ここにいる、と詠ったのがまずかったか」
グランとKが頭をかく。
Kは、自分のリーゼントが乱れない程度に、だが。
「グラン・・・なにが起こってるんだ? 今」
トラップがグランの肩を掴む。
ノルも、グランを見下ろした。
「後で説明します」
なだめるような口調。
けれど、瞳は厳しくKを見つめている。
「とりあえず、こちらの勝ちというコトか」
Kが口を開く。
「そのようですね」
グランが溜息をつく。
Aの持っている本と「黒」が抱えている男を見て。
「おっちゃん!!」
トラップが声を上げる。
クレイの父、アンダーソン騎士団長に向けての言葉と思えないが。
「てめぇら!」
駆け出すトラップ。
「黒」へと向かう彼の進路を、ランスとアクスが阻む。
一歩ひいたトラップを、無理矢理グランがひっぱる。
「闇の歴史が記された本を狙うのはわかります。
けれど、なぜアンダーソン騎士団長まで捕らえる必要があるんですか?」
「おまえが知る必要はない」
Kの変わりにAがこたえる。
「これ以上オレたちに関わるなよ。グラン」
「そうもいきませんよ」
グランは頭をかきながら言った。
「あなたを止めることが、この世界に来た一つ目の理由ですから」
「そうか・・・」
Kが笑う。
そのままKが詠う。
『ここにいる「死」を恐れぬ者たちよ。帰ろう。我らが住処に』
Kが消える。
続いて、彼のまわりの人たちも消えていった。
「トラップさん!!」
少しして、総司が走ってきた。
「なにがおこったんですか?」
「よくわかんねぇよ・・・わかんねぇけど・・・」
トラップが膝をつく。
グランは、何とも言えない表情で、彼を見下ろした。
「オレらの・・・負けだ」
アンダーソン襲撃事件終結
後の歴史書で、この事件は
「騎士側の勝利」としか書かれていない
2000年11月6日(月)21時35分〜11月21日(火)20時43分投稿の誠さんの長編小説「うたかたの風」(7)です。継続中。