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2009年09月の日誌

2009/09/07

 1年ぶりに日誌も更新。サイトアドレスも変更したことだし。
 その間にまた色々あつたわけですが、端的に言ふなら失職して就職したわけです。やうやく化学つぽい仕事になつてきたかなといふ気がしてちよつと嬉しかつたりプレッシャがかかつたり。
 そして地震が起きたりしたのです。幸ひこちらにはまつたくなんの被害もなく、お盆も動かなかつたのでさういふ影響もなく。

 思ふことも多々あつた気がするのですが、何せ今はまつたく思ひ出せません。一仕事終はつてやれやれといふところですか。仕事で単純作業をしてゐるときはいろいろ考へるんだけどなあ。

 さういへばアドレス変更で昔リンクターミナルに登録されてゐた方々にメールを出したのですが、かなり多くの人から帰つてきてしまつた上に自分宛に送つたメールが迷惑メール分類されてショック。もしかしたら無事届いても迷惑メールフォルダに入つて消えてしまうといふこともあつたのかなあ。
 仲が良かつた人とも連絡が取れなくなつてしまひ。それはわたしが悪いとは思ふんだけど……(涙)
 この間も書いた気がするけど、誠に月日は百代の過客なりけり。心当たりがある方、わたしは変はらずお相手できると思ひますのでご遠慮なくご連絡くださいませ。

2009/09/08

 深く考へてゐるわけではないのですが、徒然に思つたこと。

 金が流れるべきところに流れないでどうでもいいことに注ぎ込まれる状況は、まさしく社会主義であるといふこと。日本は民主主義を標榜しつつ、票田となる組織を保全するための擬制社会主義国家だつたといふこと。減反政策なんてよく見たらまさしく社会主義計画経済そのものだし。戦争のための組織を作り上げた満鉄帰りの官僚組織が密かにマルクス主義に傾倒して、自由主義の中の社会主義組織を占領軍にすら見咎められることなく形成していたといふ説にうなづけるところもあつたりする。それが漸く見放されたといふことで、ある意味漸く戦後が終はつたとも言へるかもしれない。インテリは左派社会主義に傾倒するのは古今東西の決まりですからして(意味不明)。とにかく真面目に将来を考へる農家と介護事業者、林業家に金が回る仕組みを考へなければならない。これまでの日本が取つてきた護衛船団方式は最も性能の劣る部分が律速になつてしまふ。もちろん劣る部分を引き上げる施策は必要だが。
 だうでもいいが「円周率より自給率」といふ行は世界最高桁の円周率計算を成し遂げる日本の電子科学技術力を貶める物である云々。自給率が低いのは認めるがそれも計画経済の末路ですから。農協ももつと大規模共同経営体になるべきだと云々。

 地球温暖化のための二酸化炭素排出量25%削減といふ目標を立てるなら高速道路無料化など言ふべきではない。むしろ高速道路と飛行機の料金を引き上げ、人と物の移動を最小限に抑へることが肝要と考へる。観光は須く環境に悪影響を及ぼすことは、数々の例を見ても明らかである。消費、景気回復と経済成長も環境には悪影響となる。
 そして森林を戦前の姿に戻すべきである。戦後、木を売れば儲かるといふ(確か)国の言葉に踊らされ、二酸化炭素吸収への寄与が低い針葉樹林に多くを植ゑ替へてしまつたあげく、売る前に価格が暴落して手入れすらろくに出来なくなり、台風一つで倒れてしまうような弱々しい杉林は、悲鳴を上げるかのやうに毎春花粉をまき散らす。そして効率とマスクと言ふ資源を消費する。
 そのやうな姿ではなく、儲けられる程度に規模を縮小してきちんと手を入れ、高級材として売れる森を確保する一方、手を入れない森は間伐とともに原生の落城広葉樹、あるいは照葉広葉樹林に次第に植ゑ替へていく。さうすることにより花粉症と地球温暖化対策を一度に進めるべきであり、そのためにはそれをすることによつて従事者にきちんと金が回る仕組みを整へるべきである。

 環境といへば、環境問題を口にするならコンビニからリサイクルになつてゐないPETボトルを撤去してリサイクル性に優れた缶製品あるいはボトル缶製品に置き換へるべきである、と回し者的発言。だつてPETボトルぢやなければならない飲料つてありますか? PETに向かない飲料ならビールをはじめ色々あるわけですが(炭酸飲料も本当は向かない)。
 アルミニウム缶とアルツハイマー? デマです(断言)。

2009/09/23

 帰省してゐたが、渋滞でいつもの1.5倍時間が掛かつて仕舞つた。東海北陸道の富山県区間が渋滞したのを初めて見た。もちろん高速1000円で、五箇山合掌集落に出かける車が増えたのが原因であらう。通常8時間程度なのがさうなつたのだから子供には大変な負担になつたであらう。深く反省。もはや高速道路1000円の間は高速を使へない。それに伴つて思つたこと。
 上に書いたことに追加。どうせ高速道路を無料にするなら大型1ナンバと2ナンバを無料にして仕舞へば良い。平日大型を無料にすれば一般道は非常に空くことであらう。渋滞が減つて二酸化炭素は削減される。危険なダンプトラックが減つて通学路は安全になることであらう。大型の信号停止時間が減るから燃料消費も抑へられ、さらに二酸化炭素を減らす効果があらう。さらに物流コストが下がれば経済効果は普通車が移動するより高い。普通車が1台移動したところで、せいぜい数万円使ふのが関の山。だがトラックならば1台で数億を動かすこともざらである。ついでにいふなら車両特定無料でも無料化は無料化、マニフェスト違反には当たらない。
 ただし無料化を享受するには現行法制に加へ走行車線キープと制限時速80km/hを厳守、追ひ越し禁止を条件とすることは必要であらう。トラックがする追ひ越しは労力の割には対価が少なく、燃料の無駄である。
 これと平行してJR貨物を使ふ輸送には補助金を出す。高速道路無料化後の輸送コストより微妙に安い価格になるやうに調整する。特定企業に補助金を出すのかといふ話もあらうかと思ふが、日本航空に出すのが許されるのであれば、こちらに出す方が二酸化炭素削減に寄与する割合が高い。
 財源は炭素税として今より税率を上げたガソリン税を充てる。もちろん普通車業界から激しい反発はあらうが、高速道路の本来の用途を考へれば、かなり妥当な施策だと思ふが、いかがだらう、前原大臣?

2009/09/25

 友人の日記に付けたコメントについて、徒然に書かうと思ふ。
 友人の日記にはかういふことを書いた。「自分の体も心も、自分から一番遠くて、思い通りになんかならない」云々。
 翻つて熟々と考へるに、自分の体や心が、完璧にすべて自分の思ひ通りに操作できたことは、かつてあつただらうか。ままならない自分の体に悪態をつき、ままならない自分の心に傷つきながら、そこそこのところですべて人間は生きてゐるとは考へられないだらうか。生まれたときから人はままならぬ自分や他者と闘つてゐる。赤ん坊は何も思ひ通りにならずに泣く。思ひを他人である親に満たしてもらふことで喜びを得、その喜びを糧とし、他人との関はりの中で成長する。
 他人の体は思うように動かないことはすでに皆知つてゐる。他人の心を操ることは、自分の心を操ることよりは案外容易である。やらうと思へば人の心は簡単に動かすことが出来る。催眠術とかいふ手段でなく誘導することも出来る。大抵の場合はそれに要する労力とそれに見合ふ報酬が釣り合はないから誰もやらないだけである。これを意識的にやつてゐる何やらがあるかもしれないといふことは頭の片隅に置いておく必要がある。話がずれた。
 しかしながら自分の体を完全に思うやうに動かすには多大な努力が必要であることは論を俟たない。スポーツの分野でも芸術の分野でも、表でも裏でも何か(大抵は時間)を犠牲にして、漸く手に入るのが自分の体の完全なコントロールであるといへる。自分の心についても同じことがいへる。自分の心を制御するために、宗教家は自らを厳しき修行に追ひ込む。哲学者は深い思索の時を必要とする。そして数学者はつひに壊れて仕舞ふ。何かを思ひ通りにするといふのはそれ位のことなのだ。
 だがここで諦めてはならない。自分の体も心も、自分が死ぬまでつきあつていく重要なパートナなのだ。だからこそ、気持ちよく生きていくために、必要なく追ひ込まず、最大限自分の思ひをそれらの道具に伝へていく努力は、絶え間なくしていかなければならないのだ。努力を怠つた途端、両者は手元からさらに離れていくのだ。
 といふことを友人への短いコメントに籠めてみた。思ひは、伝はつたと思つてゐる。根拠は、無い。

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